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静岡・伊東に津波堆積物? 15世紀末にも関東地震か/神奈川

社会 | 神奈川新聞 | 2013年4月8日(月) 12:16

上部が津波堆積物と考えられている層(写真は伊東市教育委員会提供)
上部が津波堆積物と考えられている層(写真は伊東市教育委員会提供)

相模湾に面した静岡県伊東市の宇佐美遺跡で見つかった15世紀末の堆積物が、同湾に延びる相模トラフで繰り返し起きるマグニチュード(M)8級の関東地震の津波によってもたらされたとの説が提唱され、注目を集めている。古文書などから、明応年間の1495年の地震が該当するとみられている。過去の関東地震は、関東大震災をもたらした「大正」(1923年)、外房に高い津波が押し寄せた「元禄」(1703年)の2回しか時期が特定されていない。元禄の一つ前が「明応」と裏付けられれば、同地震の周期の解明につながるため、今後の研究や再来に向けた対策にも一石を投じそうだ。

発掘調査に当たった伊東市教育委員会の金子浩之主査によると、堆積物が見つかったのは海から約200メートル、標高約8メートルの地点。地表から数十センチ下の砂や粘土の層に約500点の中世の陶磁器片や古銭などが散らばっている一方、建物の跡はなく、大きな力で海側の集落から押し流されたような様相を呈している。堆積層の下面は水流で削られたような構造だった。

これまで、伊豆半島の西側から南西へ延びる南海トラフで1498年に起きた明応東海地震の痕跡との見方が有力だったが、金子主査は「南海トラフの地震で伊豆半島東側の付け根に近い宇佐美に、これほど高い津波が押し寄せることはあり得ず、記録もない」と指摘。

一方、鎌倉の大仏へ津波が到達したことを記す「鎌倉大日記」には津波の発生時期が1495年と書かれており、「明応東海の3年前に明応関東があったと考える方が自然」との結論を導いた。京都の公家の日記や熊野の年代記にも、1495年の大地震が書き留められているという。

現場を確認した産業技術総合研究所(産総研)の藤原治主任研究員は「周辺には川があり、洪水や土石流の影響も否定はできない」としながら、「津波であれば関東地震の可能性が高い」と強調。裏付けも兼ねて遺跡近くで行ったボーリング調査では似たような堆積層が見つかっており、「今後詳しく調べる」としている。

鎌倉大日記の記述を「誤記」とみていた建築研究所の都司嘉宣特別客員研究員も「新しい考え方で注目に値する。液状化の痕跡などほかに補強する材料が出てくれば、信ぴょう性が高まる」と受け止めている。

関東地震をめぐっては、東大地震研究所を中心に三浦市西部の小網代湾で発掘した津波堆積物の一部が1293年の「永仁」の地震の痕跡と解釈されている。さらに、産総研などが房総半島南部の千葉県館山市で実施した調査では、さらに古い1100年ごろや900年ごろの津波によるとみられる堆積物が確認されたという。

これらがすべて関東地震の津波痕であれば、おおむね200年間隔で繰り返されたことになる。ただ「相模湾の海底地形は複雑。関東地震の起こり方は一様ではない」(県温泉地学研究所の吉田明夫・前所長)との分析もあり、周期などの解明には今回の調査を補足する研究成果が必要とされている。

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