1. ホーム
  2. ニュース
  3. 社会
  4. 晴天に現れる公園の「釣り堀」、78歳男性が手作りしボランティア/相模原

晴天に現れる公園の「釣り堀」、78歳男性が手作りしボランティア/相模原

社会 | 神奈川新聞 | 2012年6月17日(日) 11:57

「釣り堀」の真ん中で、子どもたちを見守る野口さん(中央)=市立相模原麻溝公園
「釣り堀」の真ん中で、子どもたちを見守る野口さん(中央)=市立相模原麻溝公園

子どもが垂らす糸の先には、丹念に線描きされた紙の魚がいた。晴れさえすれば、毎週日曜に相模原市南区麻溝台の市立相模原麻溝公園に現れる「釣り堀」。5年前に野口徹也さん(78)が始めた釣り遊びだ。100回を超えるボランティア活動を後押しするのは、子どもたちの笑顔と失われた「ある命」だった。

「おーい、みんな釣れてるかあ」

アスレチック広場のウッドデッキ。3メートル×4メートルの青いシートに色とりどりの魚が無造作に並ぶ。サンマ、シマアジ、マンボウ、タツノオトシゴ…。クリップを留めた紙の魚に、磁石をつけた糸を垂らし釣り上げる。さおを揺らす子どもの輪の中心に、野口さんはいた。

喜び、落胆、真剣さ。子どもたちが見せるさまざまな表情に喜びを感じる。その原点には終戦直後の中学時代、わが弟のように世話した男児の死がある。

近くに住んでいた剛ちゃん。戦後の混乱の中、その両親は働くことに必死になっていた。代わって世話をしたのが野口さん。おしめを替え、寝かしつけ。愛情は深まった。

が、3歳になった剛ちゃんは肺炎をこじらせあえなく逝った。病院に行かせてもらえなかった。半日以上、亡きがらを抱き続けた。どんなに見つめても剛ちゃんの顔はほころぶことはなかった。

「幼い子どもの見せる表情がどんなに尊いか。笑顔ならばなおさらだ」。釣り堀を始めたのも、家に遊びに来た孫娘を楽しませようと手作りしたのが始まり。映画「ファインディング・ニモ」の主人公になったカクレクマノミをベースに、表情をにっこりとコミカルに描き、フェルトペンで色を塗った。祖父の労作は子ども心をくすぐった。

「じいじ、もっと作って」

孫の友達にも評判で、家の中はにぎやかになった。70歳を過ぎ、仕事はリタイアし、時間は有り余っていた。「自分がこしらえた魚をそんなに喜んでくれるなら」。自宅に近く、子どもが集まる麻溝公園での釣り堀は、ごく自然な着想だった。

雨が降れば、紙の魚たちがぬれ、汚れるため、釣り堀は晴れの日限定。当日は、午前8時すぎから午後4時ごろまで。子どもたちが熱中するあまり、踏まれたりちぎれたりで十数匹は使えなくなるため、月曜日からはメンテナンスが始まる。釣りざおやシートを拭いたり、新たな魚を描いて加えたりと忙しい。

幼くして逝った剛ちゃんには、もう何もしてあげられないが、「目の前にいる子どもはもっと楽しませてあげることができる。それを剛も望んでいると思う」。

運転免許を持たないため、80種千枚の魚と園芸用の支柱を転用した90本のさおを自転車の荷台に載せ、公園へ向かう。シートも含めて、かなりの重さだ。正座ができないほど膝は悪い。でも、「また子どもたちに出会えると思えば、重たいペダルも少しは軽くなる」。

梅雨は、釣り堀の休みが続く時期でもある。「早くお日さまの下で釣り堀を開きたい」。野口さんは夏の訪れを待ちわびている。

【】

ボランティアに関するその他のニュース

社会に関するその他のニュース

PR
PR
PR

[[ item.field_textarea_subtitle ]][[item.title]]

アクセスランキング