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横浜大空襲から再建、横浜橋商店街の「よろずや」守る/横浜

社会 | 神奈川新聞 | 2012年5月31日(木) 12:52

横浜大空襲から67年。米軍機の爆撃で亡くなった母から店を継いだ男性がいる。1865(慶応元)年からの屋号「よろずや」を守る同市南区の田村史郎さん(88)。戦火の影響で一時畳んだ店を再建し、横浜市内の商店街の一角で今もどっこい生きている。

同市南区高根町の横浜橋商店街にある「よろずや」。田村さんの元気な声が聞こえてくる。

「いらっしゃい、いつもありがとね」。サンダルやタオルなど日用品がたくさん並ぶ。「ここに来れば大体のものが安くそろう」。常連客が笑う。

店開きは約150年前。新潟県で洋服店として創業し、戦前に同市中区伊勢佐木町に移った。

母ツルさんは2代目店主だった。3人の番頭とともに店を切り盛りし、服の販売だけでなく、夏は店先でアイスキャンディーを売った。好評だった。

戦争で一変した。1943年。戦火を恐れ、一家は店を畳んだ。田村さんは両親、祖母、5人の兄妹と同区英町に引っ越した。

2年後の5月29日、焼夷(しょうい)弾が横浜を襲った。ツルさんは1人自宅に残り、焼け落ちた自宅とともに犠牲になった。44歳だった。

田村さんは当時、千葉の陸軍部隊で特攻隊員として訓練をしていた。その日、海辺の高台から横浜方面を望むと、線香ほどの煙が上がっていた。

家族のことが頭をかすめた。だが「まだ終わっていない、これからだ」という上官の怒鳴り声にかき消された。「心配する暇はなかった。爆弾を抱える訓練が命懸けだった。自分が生きることで精いっぱいだった」。異様な時代だった。

空襲から約2カ月後。弟から手紙が届いた。「横浜がやられてお母さんが亡くなった」。人目をはばからず泣いた。

終戦を迎え、長男だった史郎さんは「よろずや」の看板を受け継ぐことを決めた。店を畳んだ日、肩を落とす母の姿を今も覚えている。「先祖代々続く看板を終わらせたくなかった。母の遺志を引き継ぐ意気で再開した」という。

横浜橋商店街で雑貨店として再建し、今年で62年目を迎えた。妻アイ子さん(82)と長女山田尚美さん(60)の3人で経営している。今後は尚美さんが引き継ぐという。それでも史郎さんは思う。「身体が続く限りは自分がこのお店を守っていく」

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