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「帆船はロマンじゃない」「日本丸」重文へ(下)

社会 | 神奈川新聞 | 2017年3月24日(金) 11:48

帽子を振ってあいさつする船長時代の山本さん=2015年6月14日、横浜市西区の帆船日本丸
帽子を振ってあいさつする船長時代の山本さん=2015年6月14日、横浜市西区の帆船日本丸

 29枚の純白の帆が広がる優美な姿から「太平洋の白鳥」と親しまれてきた帆船日本丸を愛し、愛された船乗りがいる。現役時代に航海士として乗船し、横浜・みなとみらい21(MM21)地区で展示・公開されてからも船長を務めてきた山本訓三さん(68)。2015年6月に船長を引退したが、今もボランティアとして船体の手入れに励んでいる。重要文化財の指定が決まった日本丸への思いを語った。

人力


 日本丸に初めて乗ったのは28歳の時。3等航海士として米国建国200年祭に参加するため、5カ月をかけてニューヨークに向かった。

 帆を張ると最初はゆっくりと、次第に風を受けて走り始める。その感動は、それを体験しない限り分からないものがある。まさに、自分たちが働いた結果がそこに出てくる。汗をかいた分だけうまく走るようにできている。自分の働いた分が見えてくるようだ。

 日本丸は基本的に、帆を張るには全部人力による。風向きが変わると人力で帆の角度を変えなければならない。エンジンは使わず、何の動力も介さない。そのため、みんなで力を合わせないといけない。達成感というか、自分の働いた仕事量を直に理解できる。エンジンや電気の動力を使うのでは、自分がやった部分がよく見えなくなる。

実践


 17世紀の帆船の時代から変わっていないような装置をわざわざ使い、手作業でやらせていることに大きな意味がある。

 それは、自分がやっている仕事がどれだけ役に立っているのかを自覚する上で一番単純なことだが、帆船が一番いい訓練の場だと私は今は思っている。

 実習訓練をしたときに感じたのは、決して帆船はロマンで動いてきたわけではないということだ。

 2代目の日本丸を建造する時に、偉い人から「ロマンにつける金なんかないよ」と言われたことがあった。私に言わせればロマンなんて、訳の分からないような夢みたいなものじゃあない。

 日本丸は人を育てるという重要な役目を持っており、その実践の場として動いている。それをロマンだとか、そんなもので決して語られるものではないと、今ははっきり言える。

保存


 日本丸は横浜港で展示されてからも「生きた船」として船舶資格を持つことで、公開事業と青少年の錬成事業を行いながら保存事業を続けてきた。

 今は浮いているが、将来、浸水が始まれば船としての要件を満たさなくなる。そうすると、こうした事業は展開できなくなってしまう。

 保存事業で大切なのは船体、特に外板の浸水をいかに防ぐ手立てを施していくかということ。船体のリベット構造を残しながら保存することが一番大切になってくる。実は、その部分が一番ネックになっている。

 この船が横浜船渠(せんきょ)1号ドックに入ったときの基本構想では、水を抜くとちゃんとドックの中に船が座る盤木(ばんぎ)が作ってあり、船体工事ができるようになっている。

 前回にドックの水を抜いて船体を工事したのが1995年で、もう22年もたっている。まずは進水から100年間、船体をもたすために、どのような手を打つかを考えないといけない。浸水が始まると、どうしようもなくなってくる。

理解


 日本丸の保存を続けるためにも、多くの人たちにこの船のありのままの姿を見て、接してほしい。それが海や船を理解することへの近道でもある。

 やはり見てもらいたいのは、29枚全ての帆を張る総帆(そうはん)展帆(てんぱん)。今、世界中の保存船であんなことをやっているのは日本丸と海王丸しかない。

 近くに来なくてもいい。少し離れた動く歩道からでも結構。「いやあ、すごいな」と感動してもらえるのが一番いいことだ。

 そして、これは31年間も横浜市民がボランティアでやっているということを知ってほしい。海技教育機構の職員が一部だけお手伝いしているが、あとは市民の皆さんがやっている。この事業はすごいことだと考えている。

感動


 普通、帆を張れば船はスーッと走る。走ることで感動を得られると言った。その感動はボランティアでは得られない。にもかかわらず31年間も続けている人がいる。あの人たちはなぜ、ここでやっていくのかな、とつくづく思うことがある。

 日本丸が横浜港の中心にあって、高いマストに登り一生懸命に帆を張ることで、お客さんが感動する。それが伝わってきて、大きな喜びになる。それがあるからこそ、ボランティアの皆さんは続けることができたのだろう。

 また、甲板ボランティアといって船内の真ちゅう磨きも市民がしている。お客さんが来る前にきれいに掃除をしているので公開時間には活動をしていないが、そういう人たちがいることも合わせて知ってもらえればと願っている。

模索


 日本丸は海の上で生き続けてほしいと思うが、いつまでもというわけにはいかない。保存にはそれなりの費用が必要となるので、どのように保存すべきか、私たち市民もその方向性を考えなければならない。

 欧州には保存船が多くあり、一番のヒントは英国にあるような気がする。陸上で永久保存されている「グレート・ブリテン」や「カティーサーク」のような展示をして観光客らに見せる残し方もある。日本丸で育った私たちは、水に浮いていなくても日本丸があればそれがよりどころになる。

 重要文化財に指定されることが決まったが、この船にとっての一番いい余生の送り方を巡って、模索する時が来るだろう。

 やまもと・くんぞう 1948年広島生まれ。72年神戸商船大卒。運輸省航海訓練所勤務。76年日本丸3等航海士。90~92年日本丸1等航海士。94年練習船青雲丸など船長。95~97年2代目日本丸船長。2009年から帆船日本丸記念財団常務理事、日本丸船長。15年6月に引退。現在はボランティアで活動中。

 
 

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