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横浜大空襲前の関内、地元小卒業生らが地図制作/神奈川

社会 | 神奈川新聞 | 2012年5月21日(月) 11:50

関内昔地図を眺めながら思い出を語る仙波存乃恵さん(右)と、制作を手伝った横浜尋常小の同級生・千葉妙子さん=横浜市港北区
関内昔地図を眺めながら思い出を語る仙波存乃恵さん(右)と、制作を手伝った横浜尋常小の同級生・千葉妙子さん=横浜市港北区

67年前の5月29日、横浜大空襲で壊滅的な被害を受けた横浜・関内地区。被災前のにぎわいを、地元小学校の卒業生らが地図でよみがえらせた。関東大震災から復興を遂げた県内有数の繁華街であり、日々の暮らしの思い出が詰まった街。10年越しで実現した「愛郷の願い」は、東日本大震災の復興への祈りとも重なる。当時の思い出をつづった文集とともに横浜市立図書館などに寄贈、平和の大切さを後世に伝えていく。

制作の中心になったのは、日本画家の仙波存乃恵さん(横浜市港北区)。市立港中学校(同市中区山下町)の前身である市立横浜尋常小学校を1941年に卒業した同級生たちが協力した。

関内地区は今でこそオフィス街だが、当時は老舗の商店や問屋、外国人向けの工芸品を売る店などが軒を連ねる繁華街だった。一方、子どもたちが通りで縄跳びや石蹴りをし、生活の息遣いが聞こえる街でもあった。「当時を知る人々が亡くなる前に、子ども時代を過ごした“血の通った街”を再現したい」と、仙波さんは思い立った。10年ほど前のことだ。

既存の古地図には個人宅や商店は載っていない。「頼れるのは自分たちの記憶だけ」。横浜尋常小の同期会に白地図を持ち込み、出席者に書き込んでもらう作業を何年も続けた。

地図が完成に近づくにつれ、「言葉でも残したい」と横浜尋常小の卒業生らから作文や写真を募った。出来上がった「横浜関内昔地図」と、A4判、67ページにまとめた文集「生活、行事、学校の回想」は今月1日、空襲から丸67年が経過するのを前に自費出版された。

地図で再現したのは、首都高横羽線に埋め立てられる前の「派大岡川」から海側の一帯で、昔ながらの関内地区。1923(大正12)年の関東大震災からの復興のため区画整理された街に、病院、銀行、個人商店などが細かく書き込まれている。72年まで「ちんちん電車」の愛称で親しまれた横浜市電も描かれた。

文集には28人が寄稿。「自転車屋さんの二階で童謡のレコードを聞かせて頂き、下駄(げた)問屋の二階は材料一杯(いっぱい)の中で鬼ごっこ…(中略)…町全体が我家(わがや)の如く遊び廻(まわ)ったものです」。「青い眼(め)の異人さんの出入り、港に外国の軍艦が入った時はセーラーさん達(たち)が颯爽(さっそう)と街を闊歩(かっぽ)していかにも港街の雰囲気でした」。街並みとともに、当時のにおいまでよみがえる。

声高に反戦を唱えたかったわけではない。それでも仙波さんは「もう少し終戦が早ければ、街が焼けることはなかった。二度と戦争をしてはいけない」と強調する。

同時に、東日本大震災の被災地にも思いをはせる。「父は焼け跡から一代でかばん屋を興し、仲間と一緒になりわいを築いた。東北も必ず復興できます」。栄えた故郷の思い出を胸に、エールを送る。

地図と文集は150セット作製。販売はしないが、一部は横浜開港資料館や市中央図書館、県立歴史博物館などに寄贈する。

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