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評価された三つの功績 「日本丸」重文へ(上)

社会 | 神奈川新聞 | 2017年3月23日(木) 09:54

29枚全ての帆を広げる帆船日本丸=横浜市西区
29枚全ての帆を広げる帆船日本丸=横浜市西区

 横浜・みなとみらい21(MM21)地区で展示・公開されている帆船「日本丸」が竣工(しゅんこう)から90年を前に、国の重要文化財に指定されることが決まった。水上で保存されている船舶の指定は昨年の日本郵船の貨客船「氷川丸」に次いで2番目で、船舶資格(平水区域航行練習船)がある航行可能な船舶では初めてとなる。文化庁が評価した3点を、日本丸の飯田敏夫船長らが解説する。

養成


 【昭和期の長い期間にわたり船員養成の任を担い、わが国の海運業の発展に貢献した
 日本丸は商船学校の船員養成の練習船として文部省が発注し、1930年に海王丸とともに進水、竣工した。

 折しも、外国航路に就いた客船や貨物船にはディーゼル機関で動く汽船が導入され始めた時代。文部省は建造に当たり、汽船ではなく帆船を選んだ。

 なぜ帆船なのか。同省の練習船船長経験者は「帆船の運用は一瞬といえども油断する余裕がない。海員として必要となる『細心の注意』と『不断の忍耐』と『協同一致の精神』と、また『旺盛(おうせい)なる体力』を養うには帆船の実習にかなうものはない」などと記している。遠洋航海に必要な資格を取得するためには帆船の乗船履歴が必要だったという背景もあった。

 引退した84年までの54年間にわたり、太平洋を訓練海域として延べ183万キロを航海し、約1万1500人の船員を養成した。

 飯田船長は「汽船が運航される時代に、船員の教育練習の場として帆船の有効性を認めて建造された。戦後復興に寄与した船員を多く海運界に送り出し、今日の日本を築いた記念碑だ」と功績をたたえる。

技術

 
 【国内技術で開発された船舶用ディーゼル機関を搭載した現在希少な戦前建造の船。建造当時の横肋骨(ろっこつ)方式、艤装(ぎそう)をよく伝え、外板も建造時の鋼材を多く残している
 日本丸が就航するまで、船員を養成する商船学校の練習船は小型の木造船で、各地で海難が相次いだ。鹿児島商船水産学校の練習船「霧島丸」の遭難(27年)をきっかけに、全国に11校あった商船学校関係者が国に働き掛けた結果、大型練習船の建造が決まった。

 過去の海難を教訓にしたことから、日本丸には最新の技術が随所に取り入れられた。帆走しない場合に使う補助機関は、当時主流だった蒸気機関に比べて緊急時に容易に起動できるディーゼル機関を採用した。

 国は建造に当たり国産の技術と製品を使うことを決め、工作機械メーカー池貝鉄工所(現・池貝)に開発と製作を発注。ディーゼル機関は導入が始まったばかりで、同社は試作を繰り返した末に初めて練習船に搭載するディーゼル機関を完成させた。エンジンは燃料自体を圧縮して噴射する無気噴射式で4サイクル600馬力。引退するまで2基が54年間使われた。

 日本の製鉄技術が発達していなかったことから船体に使う鋼材は英国から輸入し、船体の肋骨と外板、外板同士はリベット接合にした。船体構造は国際条約を先取りした水密区画を採用し、船内の一区画に浸水した場合でも上甲板が水面下に沈まないようにした。

 飯田船長は「現在もエンジンをはじめ外板の76%、鋼製のマスト、帆桁など多くの部材や機器が建造時の姿を残しており、当時の鋼製帆船を知る手がかりとなっている」と解説する。

記録


 【航海日誌、機関長日誌などの日誌類や建造時の図面類、加えて船体・機関の来歴や検査記録により、運航や修繕の内容を体系的に知りうる資料が存在し、わが国の海運史、造船技術史など研究上において貴重である
 建造時の図面をはじめ、改装の経緯など多くの資料が残されており、市が所有する文書・記録類181点、図面類351点も附(つけたり)として日本丸とともに重文に指定されることが決まった。

 第1次世界大戦後の世界恐慌による不況時に建造され、その後、太平洋戦争が勃発した。戦後は混乱と復興、そして高度経済成長期と休むことなく航海を続け、改装や修繕を重ねており、この間、詳細な記録が残されてきた。

 飯田船長が調べたところ、日本丸が運航されていた54年間の平均帆走率は45%と、ディーゼル機関で走った距離が帆走に比べて長いことが分かった。

 実は、43~52年の10年間は国からの指示で帆装艤装を撤去し、ディーゼル機関のみで運航していた。戦時中は瀬戸内海での石炭輸送、戦後は帰還輸送航海に従事。朝鮮戦争時は米軍人や韓国人難民を輸送する特殊航海を3度行った。

 飯田船長は「激動の昭和を生き残った日本丸。80年を超える経緯を伝える資料が船体とともに残っていることに意義がある」と強調する。

誘致

 
 日本丸が84年に引退した際、全国の10都市から誘致に名乗りが上がった。横浜市はMM21計画の中で、現在、重文に指定されている旧横浜船渠(せんきょ)の石造ドックに生きた船として浮かべて一体的に保存し、青少年の海洋教育に活用することを提案。これが高く評価されて横浜への誘致が決定、85年から展示されている。

 日本丸は市が所有し、帆船日本丸記念財団・JTBコミュニケーションデザイン共同事業体が管理運営している。市内の小学生を中心とした海洋教室が催されるほか、横浜海洋少年団などによって海に親しむ活動が行われてきた。

 市民ボランティアによる保存や活用の場ともなっており、29枚の全ての帆を広げる総帆(そうはん)展帆(てんぱん)も年間12回程度行っている。

 同財団の金近忠彦会長は「最も保存すべき価値は帆船による船員教育そのもの。『生きた練習船』として保存され、今も青少年への海洋教育が行われている日本丸には文化遺産の価値がある」と強調する。

 その上で「船員養成史を体現する日本丸を重文として保存し、総帆展帆や海洋教室など次世代を担う青少年の教育に活用していくことは、海洋国家日本の明日を支えていくうえで大変意義深い」と、今後も海事遺産として帆船教育文化を保存していく考えだ。

 ◆帆船日本丸 帆を広げた姿から「太平洋の白鳥」と呼ばれ、神戸市の川崎造船所(現・川崎重工業船舶海洋カンパニー神戸工場)で1930年に建造された。全長97メートル、総トン数2278トン。速力は、帆走は最大13ノット、ディーゼル機関による機走は8ノットだった。84年に引退、翌年から横浜で展示されている。

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