ウクライナ侵攻のさなかで迎えた被爆77年の夏。広島で取材した記者が見たのは、被爆者のいない時代が差し迫る現実だ。「核兵器の恐ろしさ」とは何か─。身をもって知る一人一人の声に耳を澄ますことから、核なき世界に一歩でも近づきたい。

被爆から77年の広島で、二人の女性の人生が再び交錯した。
平和記念式典に遺族代表として初参列した鈴木郁江さん(95)=座間市=は翌8月7日、広島市内のNPO法人事務所にいた。次女の山本緑さん(68)=同=らに付き添われ、ゆっくりと椅子に腰を下ろす。
迎えた法人理事長の渡部朋子さん(68)=広島市=がかがみ込み、目線を合わせた。「あの日、うちの母が赤痢患者さんの食事を作りよったんです。同じ所におったんです」
引き出されていく記憶
二人の看護学生(上)再び交錯した人生
看護学生だった鈴木さん(右)から当時の話を聞く渡部さん=広島市 [写真番号:1110057]
看護学生時代の記憶を語った上野さん=広島市 [写真番号:1110060]
マルセル・ジュノーの記念碑を解説する熊高さん=広島市 [写真番号:1110061]