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空襲「いたずら半分で住民を」 二宮の88歳女性が体験談

社会 | 神奈川新聞 | 2022年8月14日(日) 05:30

小学生時代の戦争体験を語った吉成さん=二宮町二宮

 平和の尊さを伝える児童文学書「ガラスのうさぎ」は、作家高木敏子さん(90)が1945年8月5日、JR二宮駅(当時国鉄)近くで米軍艦載機の機銃掃射に襲われ、目の前で父親を亡くした体験を基につづられた作品として有名だが、二宮町ではほかにも数多くの空襲被害があったという。11歳で終戦を迎えた吉成泰子さん(88)=同町二宮=は「(米軍機は)いたずら半分で住民を撃っていた。そういうことはよくあった」と、狂気に満ちた戦争の体験談を語った。

 吉成さんは4歳の頃、家族5人で東京都から二宮町に転居してきた。日中戦争が開戦し、軍国主義化が進んで戦争を身近に感じる時代。太平洋戦争が始まった41年、吉成さんが通う二宮尋常高等小学校も二宮町民国民学校へと改称された。

 ただ、同町には大規模空襲を受けた横浜、川崎、平塚のように米軍に狙われる軍事施設などはなく、比較的平穏だったという。

 状況に変化が表れ始めたのは、米軍が上陸して絶望的な戦況に陥った沖縄戦以降。吉成さんは「空母が(本土に)近づけるようになり、空母艦載機を毎日のように見かけるようになった」と振り返る。「もちろん当時はなぜ何もない二宮が攻撃されたのか分からなかった。戦後に聞いた話」と前置きした上で語り出した。

 空襲で特徴的だったのは、パイロットの顔が視認できるほど米軍機が高度を下げて機銃掃射を行っていた点。知人の話も踏まえると、飛来時は決まって「(軍事施設などがある)八王子方面などの内陸へ行き、相模湾方面の空母へ帰る最中だった」と明かす。

 民間人をもターゲットにした、命をもてあそぶ無差別空襲だった。列車が射撃訓練の的のように狙い撃たれたこともあり、吉成さんは「いたずら半分で遊んでいるかのようだった。(空母帰艦前に)機体を軽くするために弾を捨てる。捨てていくならどこか狙っていこう、そんな気持ちだったのでは」と推測する。

疎開してきた一家に悲劇

 
 

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