(男性・86歳)
終戦の年の初夏の頃。食糧難はしょうゆにまで及び、一般には色と塩味程度をまねた「代用しょうゆ」が配給されるようになっていました。横浜市港北区の自宅から3キロほど歩いた、菊名駅の近くに、その配給窓口がありました。
1人当たり一升瓶1本という決まりです。母は頭数を増やすため9歳の私を連れて、窓口に行きました。瓶は各自で用意していくのです。
青空の下、一升瓶を抱えての帰り道はつらく、私が「もう歩けないよ」と言おうとした時、後ろから走ってきた空のバスが止まりました。ドアが開いて、運転手さんが「乗って行きませんか」。感じの良い男性でした。
その頃にはバスはほとんど見かけなくなっていたので驚きましたが、同時に「助かった」と思いました。
ところが「すみません。家はすぐそこですから」と母は断ってしまったのです。
このような誘いに安易にのっては、召集された父に申し訳ないと思ってのことなのか。がっかりしながら、私はませたことを考えたのでした。
戦時下の日常を生きる女性を描いたアニメ映画「この世界の片隅に」(2016年)の主人公、すずさんのような人たちを探し、つなげていく「#あちこちのすずさん」キャンペーン。読者から寄せられた戦争体験のエピソードを、ことしも紹介していきます。