(男性・93歳)
戦争中、兵隊に憧れた15歳の私は、陸軍と海軍の少年兵に計3度志願した。
しかしいずれも身体検査で座高が足りないという理由で不合格。当時は皆ふんどし姿で、不合格者は検査官に小型バットでむき出しの尻をバシッとたたかれた。
兵隊を諦めた私は、横浜市鶴見区にあった立川陸軍航空廠(しょう)横浜出張所に軍属として入った。
飛行機用燃料タンクが6基個あり、兵隊や外国人捕虜たちが燃料をドラム缶に詰める作業をした。それを東京の立川飛行場までトラックに積み込んで運ぶのだ。
私はそのトラックの助手席に乗ったが、運んだ日は立川で1泊し翌朝に横浜に戻ってくるのが常だった。
当時は内地にも米軍機が毎日飛来していた。立川航空飛行場も爆弾を投下されたり機銃掃射を受けたり。それを防空壕(ごう)から目撃したこともあった。
本物の飛行機は格納庫に入っていたので無事だった。
なんと目くらましに滑走路には本物そっくり、木造の偽飛行機を並べていたのだ。米軍機はそれを目がけて攻撃したので、私たちは笑い合った。
戦時下の日常を生きる女性を描いたアニメ映画「この世界の片隅に」(2016年)の主人公、すずさんのような人たちを探し、つなげていく「#あちこちのすずさん」キャンペーン。読者から寄せられた戦争体験のエピソードを、ことしも紹介していきます。