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追う!マイ・カナガワ
JR東戸塚 戸塚駅の北側なのになぜ東? 駅名の謎に迫る

社会 | 神奈川新聞 | 2022年6月21日(火) 05:40

 JR東戸塚駅は戸塚駅の北側にあるのに、なぜ東? そんな疑問が「追う! マイ・カナガワ」取材班に寄せられた。横須賀線を利用する記者は、通勤がてら地図をちらり。おや? 確かに北上しているぞ。ボーっと乗ってんじゃねーよ! と叱られそうで、調べてみた。(川島 秀宜)


 東逗子は逗子の真東、北鎌倉は鎌倉の北。さて、東戸塚は─。戸塚の東というより、北寄りではないか。投稿した鎌倉市の石井和行さん(81)にとって「半生の謎」だった。勤め先の同僚から「そんなこと気にするなよ」とあきれられ、口にしづらくなったそう。

そのまんま「東」

 JR東日本横浜支社管内の107駅中、方位が冠された駅名は6駅。物言いがつきそうなのは東戸塚だけだ。駅名の由来は「分かりかねます」とJR。郷土誌にも答えは見当たらない。

 横浜市戸塚区品濃町(しなのちょう)に開業したのは、1980年10月1日。当時の本紙によると、「最もその地域に合った名前を選んだ」(旧国鉄)らしいが、開業前からの仮称通りだ。そのまんま「東」か。本紙投稿欄にも「情緒もない」との突っ込みや、港ヨコハマらしく「赤いくつ駅」はどうかといった提案が寄せられていた。

 そもそも地名にない「東戸塚」はいつ、登場したのだろう。地元不動産会社の記念誌に起源を求めた。

 「陸の孤島」とされた保土ケ谷─戸塚間に新駅を誘致する住民運動は、1世紀に及ぶ。武蔵国と相模国の境界に位置し、大正期に「武蔵」という名で実現するはずだったが、関東大震災で頓挫。昭和に入って再興し、駅名は地名の「秋葉」と「品濃」で対立した。

 「東戸塚」は65年に結成された新駅設置促進委員会の仮称として、初めて公式にお目見えしたようだ。もともと「東横浜」が候補だったが、西区内の旧貨物駅に先取りされ、差し替えられた東戸塚が定着した。

敗北の「北戸塚」

「東戸塚は東戸塚でしょ」と福原稔さん=JR東戸塚駅

 武蔵、秋葉、品濃、東横浜ときて、「北戸塚」案もあったはず。と思いきや、住民運動を主導した故・福原政二郎さんの三男で、東戸塚街づくり開発委員会会長の稔さん(64)は「全く」とかぶりを振る。「北枕に敗北。縁起が悪いから」

 日本地名研究所(川崎市高津区)によると、「北」は不吉とみなされ、敬遠される傾向にある。例えば、福井市と福島・喜多方も、旧称は「北ノ庄」と「北方」だったという。

 「戸塚から上りの東(・)京方面という意味合いもあるのでしょう」と、稔さんは教えてくれた。陸の孤島から一変し、1日十万人の乗降客を誇るまで発展を遂げたまちだ。「上昇」を印象づける「東」がふさわしい。

 巨額の私財を投じた政二郎さんをたたえ、「福原駅」も冗談半分で浮上したとか。ちなみに駅前に自宅と職場があるため、稔さんは父悲願のこの駅をほぼ利用していない。


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