「最後の引き揚げ船に乗ってくれ」。1958年1月初旬、日赤の看護婦だった中島知子さん(91)=藤沢市=は命じられ、引き揚げ船白山丸(4351トン)で東京を後にした。敗戦によって樺太(サハリン)に取り残された人たちを、救護員として迎えるためだ。冷戦体制下、ソ連となった旧領土で13年にわたり暮らした引き揚げ者は、故国へ帰る船で…
元看護婦が語る引き揚げ船(上)苦闘13年、押し黙る人々
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樺太へ向け白山丸に乗り込む中島知子さん(前列右端)。医師も同乗した=1958年1月、東京・日の出桟橋(本人提供) [写真番号:1087765]
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[写真番号:1087767]
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1958年1月1日付本紙から [写真番号:1087766]