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序列をこえた社会に向けて
やまゆり園事件 最首悟さんからの手紙㊹

社会 | 神奈川新聞 | 2022年2月16日(水) 14:20

なりゆく

最首悟 2022/2/13

 4月のひかりかがやく空の下で、唾を吐き歯ぎしりしながら、行ったり来たりしている、わたしは一人の修羅なのだ――宮沢賢治の詩「春と修羅」の一節の大意です。修羅は人間の下に位置し、修羅の下は餓鬼、餓鬼の下は畜生です。畜生は人間以外の生物を表しますから、人間という生物とその他の生物の間に修羅と餓鬼がいることになります。修羅は絶えず戦い争い、苦しみと怒りが絶えない人の一面であり、餓鬼は栄養不足の子どものようにお腹が膨れ、飢えと渇きに苦しんでいる人間の様子です。

 どうして賢治の詩を持ち出したかというと、賢治の苦しみは別にして、私たちは人間以外の生物とはっきりと一線を画していない、ということを言いたかったからです。人間が動物になったり、動物が人間になったりする民話もいっぱいあります。ただ区別はします。

 区別は動物が畜生であることから起こります。お墓に一緒に埋葬するか、家族同様の犬や猫はどうか。認めない、一般廃棄物として認める、うるさいことは言わないなどがあります。一般廃棄物とは故人の遺品、例えば眼鏡などを言います。猫はどうでしょうか。猫は化け猫になったりします。

 水俣に、胎児性水俣病で21歳で亡くなった上村智子さんの碑ががあります。乙女塚といいます。砂田明さんが建立しました。砂田さんは東京の芝居の地球座の主催者でしたが、巡礼団を組織し、水俣まで行脚して水俣病患者支援のカンパを集めました。水俣に居を移して水俣病患者支援を続けます。

 乙女塚には、水俣と貝塚の出土品や水俣病で死んだ猫を一緒に葬りました。魚を別にすれば、猫は水俣病を発症した最初の動物でした。鼠を捕る猫は漁村では必須の動物でどの家にも猫が居ました。猫への愛着や猫の狂い死にへの思いはひとしおだったと思われます。

 ところが、乙女塚への猫の共葬に地元から、畜生を一緒に葬るのかという強い反発が起きました。わたしたちは畜生への愛着と共に人と畜生をはっきり区別するのです。人は死んだらゴミになると言った有名な人がいますが、人は死んでも人なのです。生産性ゼロという理由で、重い障害者ををゴミとみなすことも、IQ20以下は人間ではないという定義も、日本では広く行き渡ることはないと思います。

 砂田さんは批判に逃げず、石牟礼道子の「天の魚」を脚色した独り芝居を全国上演し、14年目の1993年、556回目の公演を終えたところで亡くなられました。「天の魚」は胎児性水俣病の孫の少年と生きる、老漁師の述懐です。ついでにと言ってはなんですが、わたしが責任運営者となった2006年の和光大学水俣展で、13年ぶりの「天の魚」の復活上演が行われました。演者は川島宏知さんです。川島さんはその後も公演活動を続け、現在は江良潤さんの公演もなされています。

 話は人間と生き物・動物はつながっているかどうかでした。人はゴッドが最後に創造した〈神の似姿〉だとするかぎり、人と生き物のつながりは断ち切れています。もっと言えば人と自然も別です。自然はゴッドから人へのギフトであり、人は自然を管理保護する義務があります。17世紀初頭、帰納法という方法で科学を軌道に乗せたフランシス・ベーコンは、自然は拷問さながらに痛めつけないとその富を吐き出さない、と言いました。自然は感情なしに、客観的に見たり扱ったりできる、対象なのだということをよく表しています。動物愛護とか自然保護という考えも、そのような自然の見方をよく表しています。

 私たちは明治維新まで、そのような自然の考え方をもっていませんでした。自然は〈じねん〉と読み、おのずからしかりという意味でした。森羅万象全ての事柄は関係し合って、おのずから成っていく、という意味です。因果関係をたどり、はっきりさせることは、ほとんど不可能なのです。一言でいえば、物事は相対的なのです。

 相対の反対は絶対です。先ほど取り上げたフランシス・ベーコンの経験科学に続いて、17世後半、アイザック・ニュートンが絶対科学を打ち立てました。1687年のことです。そして20世紀に入り、1905年アインシュタインが相対性の考えを発表します。絶対性が〈あれかこれか〉の二者択一に対し、相対性は〈あれもこれも〉という欲張りで優柔不断なのです。相対性の考えは、量子力学に発展し、ついに、物事は階層的な積み上がりのネットワークをなし、物事の因果関係を決めるのは人の頭脳だということになります。

 物事は〈なりゆく〉のです。でも、因果関係は人が切り出したものだといっても、現実には、その因果関係を使って、高度な科学技術文明を築き上げました。ただ、その文明が富と国家の独占欲とあいまって、修復不能なまでの環境破壊を招いていることも事実です。切れ味の鋭い〈あれかこれか〉と亀の歩みのような〈あれもこれも〉を考えます。

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