今年のニュースを神奈川新聞記者が回顧する「刻む2021」。第5回は東日本大震災10年を振り返る。
夕闇に響く鐘の音は、変わることはなかった。しかし、これまでとは違う追悼の光景が、更地の点在する海辺を一層寂しく感じさせた。
2021年3月11日午後5時26分。東日本大震災で関連死を含め16人が犠牲になった千葉県旭市。首都圏最悪の津波被災地が迎えた10年の節目は、しかし静かに過ぎようとしていた。
目の前の海で命を落とした人たちに黙とうをささげようと集まったのは、わずか10人ほど。本来なら、最大波の到達時刻に合わせて鐘を16回鳴らす恒例の「3・11を継承する集い」が海辺のホテル前で開催されるはずだったが、昨年から続く新型コロナウイルス禍のため、今年も中止に追い込まれた。
それでも教訓を見つめ直す場を絶やしてはならないと、被災者宅の庭先に場所を変更。有志が足を運んだものの、風船を空に放つなどの行事は取りやめた。
悔しさをにじませていた実行委員会会長の戸井穣さん(77)の言葉が忘れられない。「今年こそは集いを開催したかったのだが、感染拡大を心配する実行委員のほとんどが反対だった。10年もたつと、いろいろなことが変わってしまう」
そう語る戸井さん自身、震災を受けて市が開設した防災資料館の管理人を2月に辞していた。理由は「健康不安」。あの日から重ねた10年という歳月が、継承を担い続けてきた人々に重くのしかかっていた。
見えぬ傷痕
東日本大震災10年 千葉県旭市 復興と継承のはざまで
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犠牲者の数に合わせ、「希望の鐘」を鳴らす戸井穣さん=2011年3月11日午後5時26分ごろ、千葉県旭市 [写真番号:939696]
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津波が押し寄せた千葉県旭市の住宅。畳がめくれ上がるなどしていた=2011年3月 [写真番号:939695]
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文芸賞の創設を決めた行事で発言する渡辺昌子さん=2016年2月 [写真番号:939694]