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神奈川の戦争秘話
終戦後も太平洋のアナタハン島で7年 三崎の徴用船乗員

社会 | 神奈川新聞 | 2014年8月31日(日) 03:00

 敗戦を信じられず太平洋・マリアナ諸島のアナタハン島で7年間を過ごした末に生還した海軍徴用漁船「兵助丸」の船員に関する資料が三浦市内で見つかった。公的な管理下にはなく、船員の遺族が所有している。故郷への帰還に向けて旧三崎町や家族らが奔走したことが分かる書類などが残っており、市内の歴史に詳しいフリーライターの森田喜一さん(79)=同市栄町=は「公的な文書もあり、資料的価値が高い」と指摘する。

生還者の石渡一郎さんの長男、善雄さんが残した資料

 三崎港を拠点とする漁船「兵助丸」は1944年1月に海軍に徴用され、同年5月、南洋方面向けの軍物資の輸送のため船団を組んで横浜を出港した。6月12日にアナタハン島周辺で機銃掃射に遭い、船団の他の船も含め31人が島に上陸。もともと島で生活していた日本人男女を含め33人で孤島生活を送った。

 1950年秋、単身で米軍に投降した日本人女性の話から、船員らの生存が正式に判明。米軍などが投降を呼び掛けたが敗戦を信じず、拒否を続けた。

 1951年7月になって、ようやく残る生存者20人が帰還した。旧三崎町(現三浦市)には5人が戻り、町を挙げて熱烈に出迎えられた。島内唯一の日本人女性をめぐって殺人が起きたとされ、当時、大きな注目を集め、映画化もされた。

故郷の三崎町(当時)に帰還し、大勢に出迎えられる故石渡一郎さん(中央右)ら=1951年7月

 資料は兵助丸の機関長だった故石渡一郎さん=帰還当時(47)=の長男の故石渡善雄さん=同(20)=が、一郎さんの生還直後にまとめた冊子「アナタハン島引揚記録」と「アナタハン島引揚記録写真集」の2冊。

 一郎さんの生存を知った家族が島に送った手紙に同封したとみられる写真や、当時の三崎町長と兵助丸船主が「家族代表」として衆参両院などに提出した救出を求める請願書の控えとみられる文書、救出の成功を伝える電報などがとじられている。

 このうち請願書の控えとみられる文書について三浦市は「町長名で出され、今の感覚からすれば三崎町の公文書であることは間違いない。合併前の町時代の公文書は市にほとんど残っておらず、公文書かどうかにかかわらず(請願書が)市に残っている可能性はまずない」という。

 主な提出先の衆参両院の請願・陳情の保存年限も過ぎている。森田さんは「今となってはこうした個人所有の資料は大変貴重だ」と話す。

 同市三崎のチャッキラコ・三崎昭和館で毎夏、戦争に関する展示を行っている山口勝さん(83)=同市三崎町小網代=が、昨年の展示準備中に知人を通じて、一郎さんの長女星野紀子さん(81)=同市栄町=と接触。実家を継いだ次男宅に資料が保存されていたのが分かり、一部の資料を公開していた。

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