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シベリア抑留 73年
望郷の音色(4)酷寒の地で果てた伯父 尊厳を刻んだ歌声

社会 | 神奈川新聞 | 2018年8月26日(日) 09:28

 顔をあわせたことはなかった。声を聞いたこともなかった。今までも、そしてこれからも会うことは決してない。それでも幼少時代から、母の実家に掲げられた遺影の若い男性に憧れてきた。

 男性は、バリトン歌手・古川精一さん(53)=東京都大田区=の伯父・相川實さん。南アルプスへの登山、戦友と肩を組み合ってくつろぐ軍服姿-。古川さんは、3冊のアルバムに収められた伯父の姿に将来の自身を重ね合わせ、やがて来る青春への期待に胸を膨らませた。

友人と日光を訪れた相川實さん(左)=1942年10月18日撮影(古川さん提供)

 伯父は1944年ごろに召集され、旧満州の関東軍に配属された。敗戦後はロシア中部タイシェットの収容所に抑留され、22歳の若さで亡くなった。

 祖父母からは、命日は1946年4月15日と聞かされていた。しかし、独自に記録をたどると、ロシア側から提供されながら厚生労働省が整理できていない資料から、命日は3月6日だったと分かった。抑留開始からわずか数カ月後、死因は栄養失調と腸チフスとされていた。

 国のずさんな資料管理の現状に驚き、追悼の思いがわき起こった。

 2015年7月、伯父が埋葬されたという場所はシベリア奥地の深い森の中にあった。落ち葉が舞い散り、雑草が生い茂る。土まんじゅうが点在し、木材が1本ずつ立っているだけだった。言葉を失った。

 「国策で集められた兵隊が拉致され、命を落とした。その上、こんな状態で朽ちている。個人の尊厳はどこにあるのか。国として道義にかなっているのか」

 伯父は森林伐採や鉄道敷設に従事したが、残るのは収容所の痕跡のみ。当時の面影はない。伯父の生きた証しを残したい-。2カ月後に再訪し、現地の子どもたち約100人を前に追悼コンサートを開いた。

 「伯父の人間としての尊厳を取り戻すことができました」。次世代に伝える使命感に身が引き締まった。

追悼コンサートで民謡を歌う神奈川大混声合唱団「クール・アンジェ」の団員ら=東京都千代田区

 シベリア抑留の開始から73年となった8月23日、古川さんは都内で追悼コンサートを開いた。指揮者が学生時代の同級生だった縁で神奈川大学の混声合唱団「クール・アンジェ」と共演し、収容所で抑留者が演奏したロシア民謡や、合唱団が選曲した日本の民謡など約10曲を披露した。

 シベリア抑留者支援・記録センター(東京都千代田区)によると、抑留体験者の平均年齢は95歳。高齢化が進む中、抑留の実態解明とともに被害の継承が課題だ。

 「抑留を知らない僕たちの世代が歌を通じて伝えていきたいと強く感じた」。抑留体験者や遺族を前に、同大2年の小野素生さん(20)は次世代が果たすべき役割を実感した。

 恋人とボートに乗って楽しむデート、友人との日光への旅行-。今も手元に残る伯父のアルバムは、他愛のない日々の暮らしであふれている。青春を謳歌(おうか)する若者の姿は、SNSで発信する今も変わらない。伯父の笑顔は、何げない日常こそが愛(いと)おしいと教えてくれる。

 「かけがえのない営みを単なる歴史の一コマとして捨て去るわけにはいかない」。シベリア抑留の風化が懸念される現実を前に、古川さんは思いを強くする。

 
 

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