домой(ダモイ)。ロシア語で「家へ」を意味する言葉。それを、終戦時に満州にいた日本兵らは日本への帰還と受け止めた。だが待っていたのは、厳寒のシベリアでの強制労働だった。抑留の記憶を、生還者の証言からひもとく。
凍土を穿つ
抑留から帰還までの体験を、神奈川新聞のOBの証言で振り返る。
凍土を穿つシベリア抑留の記憶<1>捕虜の船は北へ「氷の上を歩け」
社会| 神奈川新聞| 2015年2月19日(木) 11:25
凍土を穿つシベリア抑留の記憶<2>暗号、武器隠滅の命令
社会| 神奈川新聞| 2015年2月20日(金) 11:22
凍土を穿つシベリア抑留の記憶<3>朝鮮「サンゴウリ」の記憶
社会| 神奈川新聞| 2015年2月23日(月) 13:00
凍土を穿つシベリア抑留の記憶<4>教育勅語の“優等生”だった
社会| 神奈川新聞| 2015年2月24日(火) 12:14
凍土を穿つシベリア抑留の記憶<5>少年飛行兵、親にも黙っての志願
社会| 神奈川新聞| 2015年2月26日(木) 12:07
凍土を穿つシベリア抑留の記憶<6>「戦友愛」で正当化されたビンタ
社会| 神奈川新聞| 2015年3月1日(日) 12:00
凍土を穿つシベリア抑留の記憶<7>望郷の歌、「心の栄養だった」
社会| 神奈川新聞| 2015年3月3日(火) 14:22
凍土を穿つシベリア抑留の記憶<8>貧しき戦勝国、氷原の上の共感
社会| 神奈川新聞| 2015年3月6日(金) 03:00
凍土を穿つシベリア抑留の記憶<9>ソ連軍大佐と捕虜の「終戦」
社会| 神奈川新聞| 2015年3月8日(日) 03:00
凍土を穿つシベリア抑留の記憶<10> 雪焼け顔の復員兵、祖国へ
社会| 神奈川新聞| 2015年3月13日(金) 03:00
シベリア抑留とは
第2次大戦終結時にソビエト連邦に降伏・逮捕された日本人をソ連が抑留し、シベリアでの強制労働を課した。日本政府調べで約57万5000人が抑留され、このうち約5万5000人が死亡したとされる。抑留者には軍人をはじめ、旧満州の国策会社の関係者や従軍看護婦などもいた。
望郷の音色
抑留の日々の支えは音楽だった。アコーディオンの調べに託した望郷の思いとは。