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関東大震災で壊滅、横浜市電の苦難の歴史展示 開港資料館

社会 | 神奈川新聞 | 2021年10月8日(金) 12:37

被害状況に迫る研究を続ける吉田さん=横浜開港資料館

 東京、横浜を中心に10万5千人余りが犠牲になった1923年9月の関東大震災では、横浜の中心部を走る市電(路面電車)も壊滅的な被害を受けた。震災の2年前にスタートした市営交通の黎明(れいめい)期を支えた市電の登場から、今年で100年。横浜開港資料館(横浜市中区)は当時の記録から苦難の歴史に迫り、調査成果の一端を展示コーナーで公開している。

 「運転中だった88両のうち、57両が焼失し、貨車1両を失ったと報告されている」

 調査研究員の吉田律人さん(41)は、市が編集した「横浜市震災誌」や震災当時の新聞などを丹念に読み込み、被災の実態やその影響について研究を重ねている。同資料館が所蔵する写真帳「大震火災電気鉄道被害情況」には、鉄橋やトンネル、変電所、車庫などの市電関連を中心とした写真が59枚収められており、多方面に及んだ被害の状況がよく分かるという。

関東大震災で被災し、傾いた横浜市電の車両(横浜開港資料館所蔵)

 1923年9月1日午前11時58分。小田原付近を震源とするマグニチュード(M)7・9の巨大地震で、当時の横浜市心部は震度7相当の揺れに見舞われた。激震に耐えられなかった建物が次々と倒壊。昼食の調理で火を使う時間帯だったこともあり、あちこちで火の手が上がり、市役所や県庁などがある一帯は猛火に包まれた。出火点は289カ所に上った。

 「揺れによるレールの損傷や電気系統の被害で動けなくなった車両が、その後の大火で焼けたようだ」と吉田さんは分析する。現在の横浜・みなとみらい21地区にあった横浜船渠(せんきょ)から家へ戻る際に市電の被害を目の当たりにした人の回想記には、〈レールが飴(あめ)の様に大きく波を打って曲る〉〈そこここに電車は立往生〉などと記されている。

 高島町(現西区)の車庫にあった車両17両が火災で焼失したほか、滝頭(現磯子区)にあった修繕工場でも建物の倒壊により19両が失われた。

 こうして「市電の機能は完全に停止した」ものの、約1カ月後の10月2日、神奈川─馬車道間で営業を再開。10月中には全線で復旧し、焼けた車両上部を取り払い、屋根のない状態の「バラック電車」も運行された。

1カ月で復旧できたのは

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