「自分のルーツが知りたい」─。戦後76年の夏。戦争に翻弄(ほんろう)された家族の歴史に今も向き合う横浜市鶴見区の看護師・鈴木豊子さん(67)=仮名=から、「追う! マイ・カナガワ」取材班に依頼が届いた。「ルーツを知るために、旧満州からの引き揚げ船・高砂丸に乗船していた大阪の男性医師について知りたいんです」。豊子さんは家族が旧満州で過ごした時間に思いをはせながら、情報提供を呼び掛ける。

叔母だと思っていた女性が実母だと知った後、その「母」の故郷の佐賀県庁で保管されていた引き揚げ状況の記録を、親族を通じて手に入れました。
母は1916(大正5)年生まれで、同県唐津市で看護婦として働いていました。27歳だった43(昭和18)年に、日本政府が移民を派遣する満蒙開拓団の一員として、満州(現中国東北部)の興安東省阿栄旗(アロンキ)に渡りました。現地の病院で働く中で終戦を迎えました。
軍人の夫がいたようですが、終戦の前後に先に日本に帰国し、母とは生き別れとなったようです。
強制的に徴用
満州と家族史(下)母に何が?「大阪の男性医師」情報求む
実母の戦争に関わる書類を手に、「自分のルーツが知りたい」と話す鈴木豊子さん(仮名)=川崎市内 [写真番号:824446]
豊子さんの実母の行き先が「満州国興安東省 阿栄旗」と記された書類 [写真番号:824447]