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時代の正体 沖縄考 記者の視点 田中大樹
国会正門に激突死の青年(下)孤高に信念を貫く

社会 | 神奈川新聞 | 2021年7月20日(火) 10:06

 霧雨はいつしかやみ、薄日が差し始めていた。レンタカーの助手席に座り、集落を案内してくれていた住民の男性(68)がふと漏らした。「彼はコザ暴動(騒動)に加わっていたんだよ」

 「彼」とは、1973年5月に大型バイクで国会正門に激突死した上原安隆さん=享年(26)。私は上原さんの故郷、沖縄本島中部の恩納村喜瀬武原(きせんばる)を訪れていた。

沖縄本島最北端、辺戸岬に立つ「祖国復帰闘争碑」。本土復帰前には日本との国境線が惹かれていた海が広がる=沖縄県国頭村

 70年12月20日未明、本島中部のコザ市(現沖縄市)で80台ほどの米軍関係車両が焼き打ちに遭った。発端は嘉手納基地近くの通りで起きた飲酒運転の米兵による人身事故だった。群衆は5千人に及んだともいわれる。

 直前には本島南部で酒に酔って主婦をひき殺した米兵が軍法会議で無罪となっていた。半年余り前には下校中の女子高校生が米兵にナイフで刺される事件も起きた。前年には米軍弾薬庫で毒ガスが漏れる事故があり、撤去を求める運動が続いていた。

 米統治下、沖縄は命が軽んじられ、尊厳が踏みにじられた。抑圧された怒りが爆発し、抗議の意志を示した。それがコザ騒動だった。

 明け方まで6時間ほど続いたが、被害は米軍関係者の車両に集中し、死者はいなかった。かつて取材した男性は「自己統制された異議申し立て」と評した。交番に投石しようとしたが、「そこは関係ない」と周囲に制止されていた。別の男性は群衆が黒人兵の避難を誘導する様子を目撃した。「差別される者同士、痛みを分かり合えるからこその行動だった」と受け止めていた。

 コザの街はベトナム戦争帰りの米兵であふれ、暴力や無銭飲食が日常だった。当時、上原さんは米軍公認の「Aサインバー」で働き、その渦中に身を置いていた。振り返れば故郷の集落でも、米軍がわが物顔で振る舞っていた。「生きるためとはいえ、鬱積(うっせき)した思いを抱えていたのではなかったか」。助手席で男性が推し量った。

 コザ騒動では10人が起訴され、上原さんはその1人だった。翌71年に上京し、新宿でタクシー運転手となった。沖縄出身者の紹介でトラック運転手に転じ、川崎に移り住んだ。

前頭部に3本の傷

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