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追う!マイ・カナガワ
横浜の意外な酪農史(下)かつては北海道に次ぐ生産量

社会 | 神奈川新聞 | 2021年4月11日(日) 05:30

 神奈川新聞の「追う! マイ・カナガワ」取材班に届いた1通の年賀状から、開港から続く思わぬ横浜の酪農の歴史を知ることになった。


明治時代前期に、現在の横浜市中区諏訪町付近にあった中澤源蔵氏の牧場の様子。左後方に牛が描かれている=「横浜諸会社諸商店之図」から。神奈川県立歴史博物館所蔵

 牛乳を消費する文化が西洋から横浜に伝わると、同時期に牧場が相次いで波止場を囲むように誕生し、全国に普及していった。55年まで、県内の生乳生産量は北海道に次ぐ2位を誇っていた。

 横浜市内の乳用牛の飼養戸数は、65年ごろに504戸、頭数5100頭とピークに達した。その後は減り続け、市やJA横浜の調査でも2019年には酪農家は磯子、瀬谷、泉、戸塚区内に9戸(320頭)が残るのみだ。

 市は「都市化の環境対策や担い手不足など、都市部で牛を飼育することが難しくなっている」とその理由を説明する。

 「酪農専業の農家が自ら牛の乳を絞って、都心部に配達するのがミルク・リングの特徴。そうした開港から続いてきた農家があったのは1990年代が最後です」。横浜開港資料館(横浜市中区)の元調査研究員で、牧場の歴史に詳しい斎藤多喜夫さん(73)はそう説明する。

 大都市に発展するとともにミルク・リングは悲しくも幕を閉じ、その歴史を直接継承している牧場はもうないという。

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