相模原障害者施設殺傷事件の死刑判決から16日で1年。植松死刑囚は法廷でも「障害者は不幸を生む存在」との主張を繰り返した。障害者と共に歩み、そばで見つめてきた人たちの軌跡を通じ、これからの共生の在り方を模索する。(敬称略)
相模原の知的障害者施設殺傷事件で2020年3月16日、死刑判決を受けた元職員植松聖(31)は、法廷で「意思疎通が取れない障害者は不幸の元」と繰り返した。施設での勤務経験が、そのゆがんだ考えをより強くしたという。障害者による文学を研究する二松学舎大准教授の荒井裕樹(40)には人ごとには思えなかった。「障害者と不幸な出会い方をすればああなるんだ」。約20年前の出来事を思い起こしていた。
大学3年の時、中学の教員免許取得に必要な福祉施設での介護実習を体験した。向かったのは山奥にある知的障害者の入所施設。障害者と接するのはほぼ初めてだった。
エリアごとに施錠された施設内を、鍵を開け閉めする職員と一緒に移動した。窓は閉ざされ、部屋にはどんよりとした空気が満ちているように思えた。外部と隔絶された世界だった。
どう接すれば、障害者に困惑
共生の実相(上) 上から目線の価値観、変えた出会い
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荒井裕樹(左)と脳性まひ者の俳人、花田春兆(日本障害者協議会提供)(共同) [写真番号:552388]
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ちゃめっ気があり社交上手だった花田(日本障害者協議会提供)(共同) [写真番号:552390]