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追う!マイ・カナガワ
震災日記と子どもの「恐怖」 今こそ伝えたい学校現場の教訓

社会 | 神奈川新聞 | 2021年3月11日(木) 05:00

 東日本大震災から10年を迎えた。児童ら84人が津波の犠牲となった宮城県石巻市立大川小学校の悲劇を忘れてはいけない。「教育現場はその教訓を生かしているのか」─。横浜市の小学校に勤務する40代の男性教諭は、形骸化する学校の防災意識に危機感を募らせる。神奈川新聞「追う! マイ・カナガワ」など全国の地方紙29紙が連携し、震災の記憶や教訓を伝えるプロジェクト「#311jp」に届いた「記憶は風化していく。あの時起こったことを多くの人に伝えたい」という声を追った。

東日本大震災当日、横浜市内の小学校には多くの保護者らが児童を迎えに駆け付けた=2011年3月11日午後3時半ごろ(画像を修整しています)

 2011年3月11日、横浜市内の小学校で6年生の体育を終えた直後、校庭にいた男性教諭らを震度5強の揺れが襲った。「こんにゃくみたいに鉄筋校舎がぐにゃりと揺れ、あまりの恐怖に子どもたちが自分の足にしがみついて泣いていた」

 パニックになった児童を何とか落ち着かせ、全員が校庭に避難した。約半数は保護者が迎えに来たが、「子どもを帰らせないと、職員が家に帰れなくなってしまう」と、残り半分も集団下校させる判断に至った。

 「先生は待っているから、誰もいなかったらここに戻っておいで」。各地区の集合場所まで集団下校を引率したが、何人かの児童は、自宅に家族が不在で引き返して来た。その後も、児童を連れて一緒に家を訪ねるなどし、何とか全員を家族の元へ帰すことができた時はほっとした。

なぜ帰してしまったか

 だが、その判断は誤りだった。週が明けた14日、児童らに書かせた「震災日記」を読んで気付いた。

 「どうして保護者に直接引き渡さず、帰してしまったのか…」。子どもたちの安全を守るべき教員として、怒りにも似た気持ちが湧いたのを今も覚えている。

 中国籍の児童は言葉が分からず状況をうまくのみ込めず、誰もいない家に帰っていた。友人の親に引き取られて友人宅にいた子はその後自身で自宅に帰り、家族が翌日に帰宅するまでずっと1人だった。少なくない保護者が、都内などで帰宅難民となっていたのだ。

 いくつかの日記には、続く余震を、孤独に耐え忍んだ子どもたちの「恐怖」がつづられていた。

大川小の「過失」を認定

 「ほとんどの小学校が児童を直接、親に引き渡せない場合も帰宅させていたと思う」と教諭は言う。

 横浜市教育委員会は災害時対応などの防災マニュアル「市学校防災計画」を06年に発行していた。だが、「現場の教員の多くは震災前、計画があることも知らなかった。当時の計画は学校での『留め置き』についても曖昧な記述で、各校の判断で児童の安全を守らなければならなかった。このことは覚えておくべきだ」と教諭は訴える。

 大川小は地震発生時、校長が不在だった。教員らが児童を連れて避難した場所は標高が低く、避難場所は不適切だったと一審の判決が出た。最高裁でも、学校が危機管理マニュアルに適切な避難場所や経路を定めなかったことなどが「過失」と認定された。

 震災時、横浜市では校長会が開かれていたため、多くの小学校で校長が不在だったという。教諭は、学校側が負うべき責任の重さを受け止める。

避難行動の「なぜ」分からず

 横浜市の学校防災計画は、大震災を受けて11年7月に改訂された。大地震発生時には学校での「留め置き」が基準となった。

 あれから10年。当時を知る教員が減り、震災を経験していない若い教員も増えた。

 「今、避難訓練があっても、なぜその行動を取るのか分かっていない教員も多い。大川小の悲劇を忘れず、一人一人が防災計画を知り意識を高める必要がある。それが子どもの命を守ることにつながるはずです」

(蓮見 朱加)


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