3・11東日本大震災10年
浪江町任期職員・渡辺さん【上】 次の災禍を防ぐために
社会 | 神奈川新聞 | 2021年1月11日(月) 05:00
多くの命と暮らしを奪った東日本大震災から10年。なお続く苦境の中でもがく人々や教訓を生かす動きを見つめる。
「帰還困難区域」が8割を占め、住む人は10分の1以下に減った。東京電力福島第1原発事故で「全町避難」を余儀なくされ、地域を引き裂かれた福島県浪江町。かつて横浜や横須賀に暮らした渡辺善明さん(43)は今、防災を担当する任期付きの町職員として、不安も抱きながら帰郷する人々を支える。3月11日で東日本大震災から10年。縁のなかった海辺の小さな町に分け入るのは、次の災禍をいかに防ぐかという視点も復興のために欠かせないと確信するからだ。

「これを身に着けて作業するんですよ」。ススキなどが生い茂った防災拠点の整備予定地で、渡辺さんは首から下げた小さな機器を示した。「積算の放射線量を確認するためです」
10メートルを超える津波に見舞われた海岸から約8キロ内陸の浪江町室原地区。津波は押し寄せておらず、常磐自動車道の浪江インターチェンジ(IC)が間近の好立地だが、周辺に住む人はいない。第1原発の北西に位置し、放射線量が高い「帰還困難区域」に指定されているからだ。区域の一部では2023年の避難指示解除を目標に除染や建物の解体作業が進むものの、どれほどの住民が帰還するかは見通せない。

大槌から浪江へ
浪江町任期職員・渡辺さん【上】 次の災禍を防ぐために
帰還困難区域内の防災拠点整備予定地で作業する渡辺善明さん。右奥にあるのが常磐自動車道浪江IC=2020年12月、福島県浪江町 [写真番号:474328]
[写真番号:474330]
通行制限中であることを示す帰還困難区域の看板=2020年12月、福島県浪江町 [写真番号:474331]
海沿いに残る被災住宅。付近では復興祈念公園などの整備が進む=2020年12月、福島県浪江町 [写真番号:474332]