
2020年が暮れる。新型コロナウイルスが猛威を振るい、いまだ日常生活に大きな影響を与え続けている。社会システムは変革を余儀なくされ、「国難」は政治の機能不全を鮮明にあぶり出すことにもなった。その局面で安倍晋三首相は史上最長の連続在職記録を塗り替えた直後に辞任し、神奈川選出の菅義偉氏が第99代首相に選ばれた。コロナ禍と首相交代に象徴されるこの1年。社説は何を訴えてきたか。読み返しながら振り返る。
新型コロナウイルスについて社説が初めて触れたのは1月末。中国・武漢市で感染が拡大し、日本国内でも感染者が出始めていた時期だ。
≪流行の可能性に備えよ≫(1月31日)の見出しで、隣国である日本は「中国での封じ込めが難しい状況を踏まえ、今後は国内での感染拡大にも備える必要があろう」と警戒を促した。
同時に「むやみに恐れ、差別や流言を振りまくのは言語道断だ。正しく恐れ、手洗い、うがい、マスク着用などを励行したい」とも指摘。病院の数や受け入れ態勢、的確で簡便な検査体制の必要性もすでに訴えていた。
だが2月になると、横浜港を発着するクルーズ船の集団感染という非常事態が起こり未知のウイルス相手の膨大な検疫に直面する。≪「持病ある人」最優先に≫(2月12日)と提言。対応で混乱する自治体の現状にも触れて、国に対し「情報伝達の仕組みづくりや地方との連携強化も求めたい」と結んだ。
初の死者も県民だった。行政としての対策がなお不十分な状況を憂慮し≪検査の充実がまず先だ≫(2月15日)と主張。相模原市の病院などで院内感染が表面化すると≪「回避する行動」知ろう≫(2月20日)と呼び掛け、「地域医療従事者も防御策を含め準備を急いでほしい」と、取り組みの強化を求めた。
危機管理不足
新型コロナウイルスという未知の脅威が迫ると、政府の対応も慌ただしくなる。
安倍首相がイベント自粛に続き、全国の学校一斉休校を要請したのだ。
国民の危機意識を高める一助ではあったが、場当たりで唐突感が否めない。学校現場への指示も、共働きやシングルの家庭への支援策の検討もすべてこれからというのでは、≪「後手」が混乱を深めた≫(2月29日)と言わざるを得なかった。
政府の判断時期や妥当性にはこの頃から疑問符がつくことが多く、リスクコミュニケーション能力の不足も露呈した。