「逗子の独立決まる」(1950年)、「逗子市きょう誕生 全市祝賀にわく」(54年)─。逗子の歩みの節目を、神奈川新聞はたびたび1面トップで伝えてきた。住民の意思によって独立したまちで、「住民自治」の精神は、市民に着実に受け継がれてきた。
戦争遂行のための行政基盤強化で強制合併された市町村の分離独立の条件を定めた、48年の改正地方自治法付則。総務省は、逗子のように住民投票などを経て、同付則に基づき分離独立した自治体数を「断定できないが少なくとも10以上」とする。
そのうち埼玉県川口市から分離した鳩ケ谷町は市に発展後、再び川口市に編入合併されており、分離独立を果たしても持続していないケースは少なくない。だが、人口約3万5千人で独立発足した逗子は70年間、その地名を守ってきた。
受け継がれる「住民自治」精神 いまも市民活動活発
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逗子市役所前を通る市制施行祝賀の旗行列=1954年4月15日 [写真番号:399204]
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逗子市制施行の祝賀式で園児に囲まれる山田俊介市長=1954年4月15日、逗子小学校 [写真番号:399208]