
逗子市が旧逗子町として横須賀市から分離独立し、今年で70年。独立運動をけん引した「逗子独立期成同盟会」の副委員長だった山口茂さん(92)=同市桜山=は“最後の生き証人”として、今も逗子の原点を語り継ぐ。当時、戦時中の強制合併を経て、戦後の分離独立にも厳しい条件を突き付けられたものの、町民は諦めなかった。運動を成功させた住民自治の歴史は今も色あせない。
太平洋戦争中の1943年。逗子町や浦賀町、大楠町など6町村が軍港都市・横須賀市に強制合併された。海軍基地を抱える横須賀市域を戦時体制強化で拡大させるためだった。「逗子町議会の承認もない合併だった。軍のやることには、反対できないもんだから」
戦中、逗子出身の山口さんは「海が好きだから」と海軍施設部に入るも5カ月で終戦となり、戦後は家族で金物屋を営んだ。青年会会長として、海水浴客でにぎわった海岸警備に汗を流す日々を送っていた。
“最後の生き証人”、原点語り継ぐ 「故郷が好き」
逗子独立の歴史を伝え続ける山口さん。10月に開いた講演でも熱弁を振るった=24日、逗子市内 [写真番号:399202]