〈秋待たで 枯れ行く島の青草は 皇国の春に 甦(よみがえ)らなむ〉(秋を待たずに枯れてしまう沖縄の若者たちの命は、春には天皇の国によみがえってほしい)
牛島貞満さん(67)=東京都=が祖父の辞世の句を詠み上げる。祖父は沖縄戦で日本陸軍第32軍を率いた牛島満司令官。本土決戦を信じて疑わなかった胸中が表れているという。

「沖縄は本土防衛の防波堤であり、沖縄戦は沖縄を守るのではなく、本土決戦を準備するための時間稼ぎでした。祖父は本土決戦は必ず行われ、米軍の本土上陸を阻止することで『皇国の春』を実現すると考えていたようです。天皇中心の国家体制を守るため、沖縄で少しでも戦闘を長引かせようとしたのでしょう」
その帰結が、地下に司令部が置かれた首里城(那覇市)から沖縄本島南部への撤退と、最後の一兵まで戦うことを強要した「最後まで敢闘し、悠久の大義に生くべし」という二つの命令だ。
「米軍が迫る中、首里城での決戦を避け、住民を戦火に巻き込むことになろうとも南部に撤退し、持久戦を継続することで時間を稼ごうとしました。『最後まで敢闘』の命令後に自決したのも、武装解除を命じるべき司令官が不在となることで『終わりなき沖縄戦』を完遂しようとしたのではないでしょうか」
一呼吸置き、言葉を継ぐ。
「沖縄が焦土と化そうとも天皇の国を守ろうとした。祖父にとって最優先すべきは天皇への忠義を尽くすことであり、その強い忠誠心ゆえに、それまで穏やかに接していた目の前の住民ではなく、天皇を見ていたのだと思います」
牛島さんは、戦争は人を変える、戦場で人は変わると考える。