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平和つなぐ 戦後75年
横浜大空襲の避難経路、地図で可視化 体験者の証言を基に

社会 | 神奈川新聞 | 2020年10月5日(月) 05:00

空襲から避難した経路を地図で説明する平野さん(左)=5月23日、横浜市西区

 75年前の横浜大空襲で、市民はどのように逃げ惑ったのか─。横浜市立横浜商業高校(Y校)卒業生ら20代の若者でつくる任意団体「NGOグローカリー」が体験者から聞き取りを行い、証言を基に避難の足取りを地図上で可視化した。11日に市内で開かれる戦争展で発表し、空襲の記憶を来場者と共有することで平和の尊さをかみしめる。

 グローカリーは今年5月、米軍機が焼夷(しょうい)弾を落とす際の攻撃目標「平均弾着点」の一つ、東神奈川周辺を選び調査を開始。メンバーでY校OGの車塚蘭さん(21)らは75年前にこの地で暮らして空襲に遭った男女4人にインタビューした。広がる炎で行く手をさえぎられながらも避難した経路やその際に目撃した状況などを地図に書き込んだ。

 当時7歳だった平野清治さん(82)は東神奈川の自宅を出て家族と貨物列車の下にとっさに潜り込んだ。爆撃が激しさを増す中、一人で抜け出して横浜港・瑞穂ふ頭の先端に逃げ込んだと証言した。車塚さんは「平野さんが住んでいた街の地図を作ると、空襲を具体的にイメージできる」と述べ、証言を可視化することに手応えを感じたという。

 調査成果は今月11日午後、横浜駅西口のかながわ県民センターで開かれる「平和のための戦争展inよこはま」(10、11の両日開催、主催・同実行委員会)で発表する。4人のうち平野さんら体験者2人が出席して証言する予定だ。

 グローカリーで指導を担う高校教諭の鈴木晶さん(59)は「このような悲惨な空襲はなぜ起きたのか。当時の日本はなぜ戦争に突き進んだのか。体験者の証言を聞きながら、若い世代と一緒に考えていきたい」と話している。

横浜大空襲 1945年5月29日午前9時20分ごろから約1時間、米軍のB29爆撃機517機とP51戦闘機101機が横浜市中、南、西、神奈川区を中心に行った無差別爆撃。約44万個(約2570トン)の焼夷弾を投下した。推定約8千~1万人の死者を出したとされる。当時の市民の約半数に上る31万人が被災した。

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