
97年前の関東大震災で焦土と化した東京の区部に残る「復興小公園」に、もっと光を当てられないか。2023年に迎える震災100年という大きな節目を見据え、「文化環境設計研究所」代表の落合直文(56)は思考を巡らせている。整備された約50カ所の大半が今も存在するが、人々の関心が向けられていないからだ。
活用の方策を探ろうと一歩を踏み出したのは、2年前の秋。東京都江東、台東両区にある復興小公園3カ所と、「復興大公園」である錦糸公園(墨田区)、震災時に犠牲者が最も多かった現場であり、現在は慰霊堂や展示施設が立つ横網町公園(同)を加えた計5カ所で利用者の意識を調べた。
回答したのは10~80代の男女計495人。得られた結果は、公園活用の可能性を示すと同時に、記憶継承を巡る課題を浮き彫りにするものだった。
関東大震災の認知度については、「ある程度」と「少しぐらい」が合わせて8割に上る一方、「言葉しか知らない」「全く知らない」との回答が2割を占めた。また、各公園の設置意図や役割も、慰霊の場である横網町公園以外はほとんど知られておらず、開園当初から残る施設や震災遺構の存在についても、8割近くが認識していなかった。
日常的に利用できる身近な存在でありながら、その意義が継承、共有されていない─。調査で見えてきたのは、そんな復興小公園の現況だった。
視点

課題の背景を読みつつ、落合は提起する。「日本は地震国なのに、きちんとした災害教育が行われていない。単に備えようと呼び掛ける防御の姿勢だけではなく、災害とうまく付き合っていく視点も伝えていくべきだ」。そうした役割の一端を復興小公園が担い得る、とも感じている。
意識調査では、公園に残る遺構に関し、「災害を身近に感じることができ、啓発に活用すべき」との回答が8割近くに上った。震災を教訓としたまちづくりの発信や観光面への活用についても肯定的な意見が多かったという。
「かつて災害を記憶する単位だったコミュニティーが崩れる中、これまでと同じように記憶をつないでいくことは難しい。意識を変え、災害から新たな価値を生み出していく発想が必要だ」
一つの参考例が、台湾にある。
未曽有に学ぶ 復興小公園(下) 教訓伝える「遺産」に
復興小公園の一つ、元加賀公園に残る「壁泉」=東京都江東区 [写真番号:361498]
復興小公園の活用について提案する落合直文さん=9月6日、東京都慰霊堂 [写真番号:361499]
復興に向け区画整理が行われたことを刻んだ御徒町公園の石碑=台東区 [写真番号:361500]
レリーフの付いた滑り台は開園当初から変わっていないされる=江東区の川南公園 [写真番号:361501]