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語り継ぐ関東大震災
未曽有に学ぶ 復興小公園(上) 学びや消えてもなお

社会 | 神奈川新聞 | 2020年9月30日(水) 13:12

斜面の高低差を利用して造られた元町公園。緑が多く、階段を上がると広場などがある=東京都文京区

 「関東大震災の名残が、東京、神奈川にどれほど残っているか。それが今の私たちの生活をどれほど支えているのか。この目で確かめて、記録しておこうと思っている」

 9月6日、東京都内で開かれていた「首都防災ウィーク」の最終日。1923(大正12)年9月1日に起きた関東大震災の犠牲者が多く眠る都慰霊堂(墨田区)で、講演に臨んだ名古屋大特任教授の武村雅之(68)が抱いている思いの一端を語った。

 慰霊堂の立つ場所は97年前、「陸軍被服廠(しょう)跡」と呼ばれていた。周囲の火炎から逃れようと避難した約3万8千もの人々が猛火に取り囲まれて逃げ場を失い、命を落とした。大火で焼き尽くされた東京、横浜を中心に死者、行方不明者が10万5千人余りを数えた震災の中でも、最悪の悲劇の現場となっていた。

 本来は地震の震源や発生の仕組みを解明する地震学者の武村。震災を象徴する慰霊の地で人々に伝えようとしたのは、今も残る「復興小公園」の現状だった。

 「関東大震災の被害総額は当時のお金で55億円。日本の名目GNP(国民総生産)の36・7%に当たる被害だった。国家に与えた影響は、東日本大震災が10個起きたのと同じぐらい大きかったのに、どうして復興できたのか」

 震災の研究を30年近く積み重ね、被害の全容に迫ってきた武村だが、最近はこう考えている。「当時の人々がどんな思いで復興に汗を流してきたかについても、きちんと考えていかなければ」

弊害

 広範囲が焼失した当時の東京市域を対象とした復興事業の予算は7億円余り。武村によると、その過半が道路整備や区画整理といった市街地再生の大枠に使われる一方、公園の整備には2600万円近くが充てられた。

 このうち、「三大公園」と呼ばれる隅田、錦糸、浜町の3カ所の整備に約1200万円が投じられ、50余りが計画された復興小公園には約1400万円が活用された。

 三大公園のような復興を象徴する大規模な公園は、震災後に山下公園や野毛山公園が整備された横浜にもある。しかし東京の復興事業では、そうした大公園に加え、小学校の再建とセットで小公園を立案し、校庭などに隣接して造っていった点に大きな特徴がある。

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