1. ホーム
  2. ニュース
  3. 社会
  4. 横浜・米軍機墜落事故43年 語り継ぐ“事件”の記憶

平和つなぐ
横浜・米軍機墜落事故43年 語り継ぐ“事件”の記憶

社会 | 神奈川新聞 | 2020年9月27日(日) 11:45

 横浜市緑区(現・青葉区)の住宅街で母子3人が死亡、6人が負傷した米軍機墜落事故から27日で43年となる。大きな犠牲や課題を残した悲劇を風化させまいと、同市緑区に住む斎藤淑子さん(80)は事故の実態や被害者の声を語り継ぐ活動を今も続けている。

米軍機墜落を語り継ぐ斎藤淑子さん=横浜市緑区

 悲惨な事故は43年前の9月27日に起こった。県議だった斎藤さんの手元に「緑区に米軍ジェット機が墜落」と書かれたメモ用紙が届けられたのは、本会議の議場だった。すぐに抜け出し、重傷者が運び込まれた病院に立ち寄った後、現場に向かったという。

 目の前に飛び込んで来た光景が「信じられなかった」。家屋が焼け落ち、機体が墜落した地面はえぐれ、油と髪の毛の焦げたような臭いが漂っていた。英語とみられる文字が書かれた手帳を拾ったが、米軍関係者に取り上げられた。日本で起こった事故の捜査を米軍が主導する様を目の当たりにし、日本と米国のいびつな関係を痛感した。

 地元選出の県議として、墜落の原因解明や被害者支援に関わっていた斎藤さんが「二度と起こしてはならない」と思いを強めたのは、墜落によって2人の子どもを亡くし、自身も重傷を負って病院で治療を受けていた土志田和枝さんとの面会だった。

 重いやけどを負っていた和枝さんは声を出せず、手を握り合うことしかできなかったが、その澄んだ瞳が今も忘れられないという。斎藤さんは「一緒に頑張ろう」と声を絞り出し、「和枝さんに代わってできることをする」と決意した。和枝さんは、事故から4年4カ月後に31歳で亡くなった。

悲劇二度と「地位協定見直しを」

この記事は有料会員限定です。

月額980円で有料記事読み放題/100円で24時間読み放題のコースも。詳しくはこちら

米軍機墜落事故に関するその他のニュース

社会に関するその他のニュース

PR
PR
PR

[[ item.field_textarea_subtitle ]][[item.title]]

アクセスランキング