横浜市の新市庁舎予定地(横浜市中区本町6丁目)から出土した近代建築の遺構が、市立横浜商業高校(Y校、横浜市南区南太田)の正門脇に展示されている。明治時代、同予定地にあった旧校舎の基礎部分で、冨地正博校長は「遺構を通してY校の歴史の重みを生徒たちにも感じてもらいたい」と話している。
同校によると、前身である横浜商法学校は1882年、現在の市開港記念会館の場所にあったとみられる本町町会所で授業を始めた。その後、横浜商業学校と改称し校舎を建てたが火災などで移転し、97年に本町6丁目に3代目校舎を建てた。敷地が手狭だったため1905年に郊外の南太田へ移転。3代目校舎はその後、本町小学校の校舎として23年の関東大震災で焼失するまで使われた。
展示されている遺構は、幅3・1メートル、奥行き1・8メートル、高さ0・8メートル、重さ8・5トン。2層に分かれたコンクリートの上に1段だけれんがが積まれ、「外壁として使われていた一番下の部分らしい」という。
Y校の歴史を伝える貴重な史料であることから、市教育委員会に依頼して遺構の一部を校内で保存することを決定。今年3月に大型トラックで運び、クレーンでつって設置した。今後、説明板を設ける予定。
本町小(中区花咲町)でも、同様の遺構を校内で展示している。