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市民ボランティアたち
日本丸ものがたり(1)ハマで帆を広げて

話題 | 神奈川新聞 | 2016年1月17日(日) 00:16

2030年の建造100年に向けて保存活用を進めている帆船日本丸
2030年の建造100年に向けて保存活用を進めている帆船日本丸

目指せ、100歳へ

 帆船日本丸は1930年に建造された練習帆船。遠洋航海中に純白の帆を張る姿は、その白く美しい船体から「太平洋の白鳥」と呼ばれ親しまれてきた。

 85年から横浜・みなとみらい21(MM21)地区に保存されており、現役時代と同じ浮かんだ状態で活用されている世界的に珍しい「生きた文化財」と評価されている。

 日本丸は、建造100年の2030年に向けて現在の状態で保存する取り組みが始まった。

 すべての帆を張る「総帆展帆(そうはんてんぱん)」を30年間行っている市民ボランティアの活動や、日本丸が85年間にたどった航跡を記事と写真、動画とそしてさまざまなデータで振り返る。

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総帆展帆の30年


2030年の建造100年に向けて保存活用を進めている帆船日本丸
2030年の建造100年に向けて保存活用を進めている帆船日本丸

 帆船日本丸が最も華やぐひとときは、4本のマストに29枚全ての帆を張る「総帆展帆」だ。

 1985年に横浜で横浜・みなとみらい21(MM21)地区で保存公開されてから、320回を超えた。毎年11回ほど開かれており、実際にマストに登って作業をするのは約90人の市民ボランティアたちだ。これまで無事故で行っていることが誇りだ。

 船長の操帆号令に従ってマストに登り、ヤード(帆げた)に縛り付けている帆を解いてゆく。甲板に降りて247本のロープを引き込んだり、緩めたりして帆を1枚1枚、力を合わせて広げていく。

 約1時間ほどかけて全ての帆を広げた後、ボランティアが甲板腕で勢ぞろいして、見守る市民にあいさつするのが流れだ。

 一般市民を対象に養成訓練を行っており、年2、3回募集し、これまでに養成した登録者は約1200人。帆船日本丸や海王丸で実習を受けた登録者と合わせて約2300人がボランティアとして登録されている。女性の割合が増えているという。

 1989年の横浜博覧会期間中は、荒天日を除き終日縦帆8枚を展帆した。2002年のサッカーのワールドカップ(W杯)決勝戦の横浜開催に合わせて、決勝戦が行われた6月30日の前日から終夜展帆を行った。

 ◆帆船日本丸 船員を養成する練習帆船として84年まで54年間活躍した。地球を45・4周する距離(延べ183万キロメートル)を航海し、約1万1500人の実習生を育ててきた。引退後は横浜市が誘致し、85年4月に横浜・みなとみらい21(MM21)地区の石造りドックに現役当時のまま保存。市民ボランティアの協力で一般公開している。


神奈川新聞でみる日本丸ボランティア

日本丸ボランティア 「総帆展帆」続け30年 かもめ会が大臣表彰(2015年7月28日掲載)


大臣表彰を受けたかもめ会の大西代表(左から2番目)ら=国土交通省
大臣表彰を受けたかもめ会の大西代表(左から2番目)ら=国土交通省

 帆船日本丸が横浜・みなとみらい21(MM21)地区で公開されて以来、30年間にわたって全ての帆を張る「総帆展帆(そうはんてんぱん)」を実施してきた「帆船日本丸ボランティアかもめ会」が27日、海事関係功労者国土交通大臣表彰を受けた。手弁当で継続して日本丸や海洋の魅力を伝えた長年の取り組みが高く評価された。

 日本丸は今年、進水から85周年を迎えた。節目の年の表彰に、同会代表の大西淑男さん(65)は「かもめ会だけではなく、これまで日本丸に携わった全員で頂いた栄誉」と述べた。

 総帆展帆は年に約10回、一般公開している。同会は1985年、帆を広げた姿が「太平洋の白鳥」とも例えられる日本丸を知ってもらおうと、活動を開始した。作業訓練を受けた2208人が市民ボランティアに登録。高所作業でけがの恐れもある中、発足以来、延べ326回・3万4747人が無事故で全ての帆を張っている。

 大臣表彰は毎年、海の日の前後、海に関する事業に貢献した団体や個人を対象に行われる。今年は全国125人・44団体が表彰を受けた。 

登檣礼に「おめでとう」  「帆船日本丸」公開30周年  横浜で記念式典」(2015年4月30日掲載)


市民やファンらに見守れながら、帆を張る帆船日本丸=横浜市西区
市民やファンらに見守れながら、帆を張る帆船日本丸=横浜市西区

 横浜港のシンボル「帆船日本丸」の公開30周年を記念する式典が29日、横浜市西区の日本丸メモリアルパークで開かれた。帆船の最高儀礼とされる登檣礼(とうしょうれい)が披露され、市民やファンから歓声と拍手が上がった。

 登檣礼では、市民ボランティア約100人がヤードに並び「30周年、おめでとう」と歓呼。29枚の純白の帆をすべて広げる「総帆展帆」や満船飾も行われ、祝福ムードに花を添えた。

 帆船日本丸記念財団の金近忠彦会長は式典で「マストでの高所作業は危険だが、30年間無事故で行ってこられたのは市民ボランティアの熱意のたまもの」と謝意を述べた。

 日本丸は1930年に建造され、「太平洋の白鳥」と称された。航海練習船としての役割を終えた後、係留地として全国10都市以上が誘致に名乗りを上げた。約83万人の署名を集めた横浜市が選ばれ、85年4月28日からみなとみらい21(MM21)地区で市民ボランティア「かもめ会」などの維持・管理により保存公開されている。

より美しく日本丸 ボランティア半数が女性 力合わせ総帆展帆を披露(2010年04月30日掲載)


雨の中、マストに登り帆を取り付ける作業をする展帆ボランティアら=2010年2月28日、帆船日本丸
雨の中、マストに登り帆を取り付ける作業をする展帆ボランティアら=2010年2月28日、帆船日本丸

 横浜・みなとみらい21(MM21)地区で1985年4月から一般公開されている「帆船日本丸」。4本のマストに登り、すべての帆を広げる「総帆展帆」を披露するのは100人もの展帆ボランティアだ。高所での危険な作業だが、その半数は女性。「太平洋の白鳥」と親しまれる日本丸を美しく彩る女性たちが、動機や醍醐味(だいごみ)を語ってくれた。


 93年から参加している横浜市旭区の会社員黒岩あけみさん(37)は「船が好きだから」と理由を話す。展帆ボランティアの募集を偶然知り、「私にもマストに登るチャンスがあることに驚いた」という。

 同市中区の会社員野妻章代さん(41)は89年の横浜博覧会で初めて見た総帆展帆に魅了されて参加。乗組員や仲間たちは性別に関係なく接してくれる。「いろんな職業や職種の人と出会えることで世界が広がった」と笑顔を見せる。

 父親が船員だったという平塚市のパート山田増江さん(62)は、長男に展帆ボランティアを勧めたところ「そんなにいいなら、お母さんがやってみれば」と言われて参加。もう10年近くになる。

 年齢制限で展帆ボランティアになれず、真ちゅう磨きなどを行う甲板(こうはん)ボランティアとなった。しかし、思いが募り、富山県に係留されている帆船「海王丸」で訓練をして展帆ボランティアの資格を得た。海王丸からの応援という形で参加している。

 帆を広げる、帆を畳むなど帆船の基本動作は人力が頼り。山本訓三船長(62)は「100人が力を合わせてやり遂げた時は、達成感ですがすがしい気持ちになる」と表現する。

 女性ボランティアは帆が比較的小さいマストの最上部に登ることが多いという。訓練では「怖くないと油断したらダメですよ」と乗組員がくぎを刺すが、「安全第一で作業に集中するので怖いと思ったことはない」と明かす女性が少なくない。


 帆船日本丸記念財団は、本年度の展帆ボランティアを募集している。20歳以上40歳未満で訓練参加が条件。締め切りは5月6日。問い合わせは同財団☎045(221)0280。

帆船日本丸 船員を養成するため、1930年1月に進水した練習帆船。今年1月に進水80周年を迎えた。84年に引退するまでに1万1500人の実習生を育ててきた。横浜市が同年に誘致、85年からMM21地区の日本丸メモリアルパークで公開されている。総帆展帆は年間に12回程度行われる。

「帆船はロマンでない」 



山本訓三前船長インタビュー(1)


帆船日本丸の総帆展帆で最後の指揮を執る山本訓三前船長=2015年6月14日
帆船日本丸の総帆展帆で最後の指揮を執る山本訓三前船長=2015年6月14日

 山本訓三(やまもと・くんぞう) 1948年広島県に生まれる。72年神戸商船大商船学部卒業 運輸省(現在の国土交通省)航海訓練所勤務。76年米国建国200年祭 航海でニューヨークへ(三等航海士)。90年から92年日本丸一等航海士。94年練習船青雲丸など船長。95年から97年日本丸船長、航海訓練所勤務。2009年航海訓練所退職、帆船日本丸記念財団常務理事。15年帆船日本丸記念財団退職。

 なぜ、帆船で訓練をしなければならないのか。

 

 昔から、大蔵省(現在の財務省)では帆船のロマンに付けるお金なんかはないよ、と言われていた。ずっとそういう話を私たちは聞いていたのですが、実際に私なんかが船長をやったり、一等航海士だったりしたときに、実習訓練をしたときに感じたのは、決してロマンではありませんよと思った。ロマンなんて、訳の分からないような夢みたいなものがありますよね。そんなものじゃありませんよ。

 

 今は私ははっきり胸を張っていえることは、あの帆船は要は基本的に帆を張るために全部人力になっているわけですよね。風向きが変わると帆の角度を変えなければならない。全部人力になっている。それは、そこに何の動力を介さないし、エンジンも使ってないわけですから。

 


帆船日本丸の総帆展帆で最後の指揮を執る山本訓三前船長=2015年6月14日
帆船日本丸の総帆展帆で最後の指揮を執る山本訓三前船長=2015年6月14日

 ここでも総帆展帆というのをしていますが、結果的に、きれいに帆を広げると、ここでは走ることができませんが、帆を張ると、静かにすーっと、最初はゆっくりと、だんだん風を受けてゆっくりと走り始めるのですよ。その感動はそれを体験しない限り何ともいえないものがあるんですよ。

 

 それこそまさに、自分たちが働いた結果がそこに出てくるわけです。うまく働いて、汗をかいた分だけ、うまく走るようにできている。それを怠けてしまうと走らないということになってしまうわけなんですよ。自分が力を出したら出した分だけ、自分の評価というか、自分の仕事をした分が目に見えてくるわけです。自分の働いた分が見えてくるわけですよね。

 


帆船日本丸の総帆展帆で最後の指揮を執る山本訓三前船長=2015年6月14日
帆船日本丸の総帆展帆で最後の指揮を執る山本訓三前船長=2015年6月14日

 それと、みんなで力を合わせないといけないわけです。それが全部見えてくるわけですよ。船が走ったり、うまく走らないと。それはいわゆる、達成感というか、自分の働いた仕事量を直に理解できるわけですよね。

 

 このなかに例えば、エンジンをつかったり、電気をつかったり動力を使えば、自分がやった部分がよく見えなくなるでしょ。全部、帆を張るのも人力でやるし、角度を変えるのも全部人力でやる。そのことで、自分たちがやった仕事が、評価され、自分たちで評価できる。

 


帆船日本丸の総帆展帆で最後の指揮を執る山本訓三前船長=2015年6月14日
帆船日本丸の総帆展帆で最後の指揮を執る山本訓三前船長=2015年6月14日

 それがいわゆる、練習船だから、そういうことができる。普通の船社ではそういうことはできませんから。どういうしごとをやって、やることがどういう結果が見えるようにしていることが、生き甲斐というか働きがいがよく分かるようになるのではないか。一番単純なことですから、それがこの帆船が一番いい施設だと私は今は思っていますね。

 

 それはなぜかというと、日本丸、現役の日本丸も、あの上は帆走艤装(ぎそう)は一緒ですよ。そこに動力を介在するものはない。それがコンセプトに作ってあるわけです。時代が進んでも、そういう風にしましょうと作っているわけで、そこに作った人の意志があるわけですね。それによって、やった分だけの結果が出てくる。それが一番大切なことではないか。いわゆる最初に仕事をする人たちに教えることで、だから、そういうことになっているのではないかな。

 


 現役の日本丸は上部構造は初代と同じ。しかし、下は快適なエアコンも入ってますし、快適な状況になっていますが、生活は快適になっているが、いったんデッキに出て作業をすると、極端に言えば17世紀の帆船の時代から変わっていないようなものをわざとそこへもってきて作業をやらせているのが、そこに意味があるのではないか。

 

 それをロマンだとか、そんなもんで決して解決できるものではなくて、とっても大切な仕事というか、仕事というか、評価する、自覚するという、自分がやっている仕事がどれだけ役に立っているのか、ということを自覚する上で一番いい教材なのではないのか。

 


帆船日本丸の総帆展帆で最後の指揮を執る山本訓三前船長=2015年6月14日
帆船日本丸の総帆展帆で最後の指揮を執る山本訓三前船長=2015年6月14日

 偉い人が見学してきたときは、いつも言うようにしている。決してロマンでこの船があって動いてきたわけではない。いまの現役の日本丸と海王丸についても、ロマンだけで動いているのでは決してありません、と。こういう重要な役目を持って、実践として動いている。

 


帆船日本丸の総帆展帆で最後の指揮を執る山本訓三前船長=2015年6月14日
帆船日本丸の総帆展帆で最後の指揮を執る山本訓三前船長=2015年6月14日

 一人一人が労働というか、社会の中でどれだけ役に立っているか、というのが分からない。大きな社会ではよく分からない中で、やっぱり基本的に働いたら働いた分だけ走るというのは、自分の仕事を評価できる。これは一番単純で一番いい部分ではないでしょうか。

 

ボランティアは多彩な顔ぶれ


甲板後部の大きな舵輪を磨く。「桜木町駅を下りてマストが見えると、『ああ、いいなあ』といつも思います」=2013年撮影、帆船日本丸
甲板後部の大きな舵輪を磨く。「桜木町駅を下りてマストが見えると、『ああ、いいなあ』といつも思います」=2013年撮影、帆船日本丸

 帆船日本丸記念財団が2015年4月に発行した冊子「30年のあゆみ」には、男女6人の展帆ボランティアによる座談会が収録されており、その魅力や顔ぶれについて語っている。

 1985年の1期から参加している秋山賢一郎さんは、展帆ボランティアの魅力を「大人数で、皆で協力するという機会は今の世の中ではなかなかできないこと」と話している。

 「6~7割が固定メンバーです。私はこれまで休んだのは2回だけです。中には、転勤先の郡山から毎回通ったり、通りところでは広島や仙台から来る方もいる」と、展帆ボランティアの顔ぶれについて触れている。

 日本丸で活動を続けている市民ボランティアはさまざまなグループに分かれている。入館者を案内する船内ボランティアや、舵輪などの真ちゅうを丹念に磨いている「友の会」などが活躍している。

(2)日本の技術ここに 待望の進水、戦禍の足音に続く…


帆船日本丸の総帆展帆で最後の指揮を執る山本訓三前船長=2015年6月14日
帆船日本丸の総帆展帆で最後の指揮を執る山本訓三前船長=2015年6月14日

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