
三浦市岬陽町に大衆食堂を構えて足かけ40年。年の離れた姉妹が中心となって営んできた。多くの常連客に支えられて漁港のにぎわいを見つめてきたが、「年齢的なことを考え、元気なうちにやめよう」と閉店を決めた。未練を残さず、年の瀬の29日に、静かにのれんを下ろす。
大衆食堂は表通りに面しているが、派手な看板はない。玄関口の上に「(○と十を組み合わせた記号と)食堂」と小さく表示されているだけ。「私が鹿児島出身なので」と、店主の札内節子さん(79)が島津家の家紋に合わせた屋号を選んだ。
1976年に開店。きっかけは、遠洋マグロ漁船の機関長だった札内さんの亡夫に、病気が分かったことだった。家計を支えるため「子どもがまだ小さく、家にいてできる仕事を始めた」。しばらくして、妹の飯酒盃(いさはい)良子さん(65)=横須賀市在住=が手伝うようになった。
当時の港は漁船でいっぱいで、活気にあふれていた。漁港まで出前をすることもあった。店の前が市消防署、隣には市立病院、三崎港にも比較的近い。開店当時は漁業関係の奥さんらが加わり、計5人で切り盛りしていた。「自分たちがご飯を食べる暇もなくて」
今も店内には、大衆食堂ならではのメニューがずらりと並ぶ。ラーメン350円、カレーライス400円、マグロの照り焼き定食500円、干物定食500円…。「家庭の味」(札内さん)が手ごろな値段で食べられるとあって、遠方から通う常連客もいた。
だが、年とともに営業規模を縮小していく。夜の営業をやめ、メニューからおでんやところてん、かき氷などを外した。出前を原則やめ、定休日を増やした。3年ほど前からは、姉妹2人だけで続けてきた。
「29日をもって閉店します」-。今月15日に、店内で告知した。常連客は「本当にやめるんですか」「寂しくなるね」と名残を惜しむ。話を聞きつけ、定年退職した人が久しぶりに来店してくれた。
「立ちっぱなしで足が弱ってきた。歩けるうちにのんびりしたい」。朝7時の開店に間に合うよう、3時半に起きて準備するのが日課だった札内さんは、これから旅行を楽しみにしている。飯酒盃さんも笑った。「40年もやれば“定年”でしょう」