
半世紀にわたり家族2世代で営んできたハマの“人情食堂”が、年内でのれんを下ろす。横浜市南区の京急線南太田駅前、丸亀(まるかめ)食堂。港湾労働者や建築職人など、港町で働く人たちの胃袋を満たしてきた。
あじフライ、ウインナー焼き、ハムエッグ、なすみそ炒め…。短冊状のお品書きが食欲をそそる。単品とご飯を組み合わせ、好みの定食にする仕組みだ。大テーブルを囲むように背もたれの低い椅子がずらっと並ぶ、気取らない雰囲気。
「寂しさはやっぱりありますね」。4代目店主、八亀(やかめ)良美さん(58)は話す。4年前に急逝した夫、和夫さんの後を継ぎ店を守ってきたが、体力や家族の都合も勘案して決心した。
開店は1958年6月。湯河原で旅館を営んでいた和夫さんの両親が新天地を求め、同駅近くのドンドン商店街に店を出した。和夫さんら9人の息子と娘も早朝から深夜まで、代わる代わる店を手伝った。現在地に移ったのは64年春。
次男の忠勝さん(79)は往時の活況を回想する。「あの頃は毎日、米を1俵も炊いていたんだ。まきで火をおこして…」
周辺に多く暮らした港湾労働者は朝から丼飯を2杯食べ、昼食用に野球ボール大のにぎり飯を携えて店を出た。東京五輪前後の建設ブームで、大工や職人も常連だった。寿署(現南署)の署員もY校(市立横浜商業高校)の教員も、タクシー運転手も、近くにあった横浜国大の学生も。食後は皆、座敷に寝転がった。
「煮物と煮魚は今も私が煮ているんですよ」と、3女の鈴木富枝さん(74)。疲れた体に優しい甘めの味付けは母親譲りだ。その亡母は世話焼きで、お客の借金の心配をしたり、月賦の仕立服の保証人になったりと、家庭的な店を体現していた。2代目店主を務めた長男の故弘二さんの妻、寿子さん(81)は思いをはせる。「うちのおかずを食べて今の横浜を築いた人もいたでしょうね」
最終営業は28日、午後2時まで。24日は昼のみ営業、23、25日は休み。