知名度とイメージで劣り、酒どころの商品と同じ土俵に立つことが難しい「神奈川の酒」。吉川醸造社長の吉川勝之(53)は、ならばその土俵の外に出ようと考えた。
企図しているのは、知名度の「逆輸入」による販路拡大だ。「神奈川の酒」ではなく、「日本の酒」として海外の市場を狙う。向こうでの評判が、結果的に日本国内での評価につながっていけば理想的だ。
ただ一口に海外戦略といっても、めぼしい国ではすでに国内銘柄の市場が出来上がりつつある。「うまく隙間を探さないと駄目だと思う」
すでに、ある国で試飲会を開き、現地の食通らの反応を探っている。
「日本でもワインに詳しい人が大勢いるのと一緒で、海外でも日本酒に詳しい人がいる。試飲会でも、やはりおいしいものからなくなっていきました」
味に関しては太鼓判をもらった。足りないのは、現地の人が好みそうなボトルの形やラベルのデザインだという。アドバイスを基に現在作製中だ。同じように、国内の市場でも右肩上がりの外国人観光客に商機があると考えている。
これまで以上に「外」を向くことで活路を見いだそうという試みは、これだけではない。
昨年12月、吉川醸造は初めて「蔵開き」を行った。新酒の時期を中心に蔵の見学や試飲会を催し、酒の味や蔵元の哲学を知ってもらおうという企画だ。杜氏(とうじ)の水野雅則(37)は「仕込みの真っ最中にやるので嫌う人もいるが、あえて忙しい時期にぶつけた」と振り返る。酒造りを預かる杜氏として、一つの宣言のようなものだった。
「いくら一生懸命に酒造りをしていても、飲んでみてもらわないと絶対に伝わらない。いかに自分たちの手でこの酒の魅力を発信していくか。最近まで会社のホームページもなかった。その姿勢自体を、変えていかないといけない」
搾りたての生酒の軽やかさ、鼻に抜ける米の匂いの爽やかさ。現場で聞こえた「おいしい」は、小さくて大きな一歩だった。
ほかにも、強い酒が苦手な人や若者・女性向けに低アルコールや甘口の商品の開発に取り組み始めた。酒造りの季節の到来を告げる意味合いで売れ行きがよい新酒の販売を、他社より先んじるために仕込みの時期を思い切って1カ月前倒しした。
試みのいくつかは、多くの酒蔵も取り組む“常道”だが、従来の蔵から、発想から、外に飛び出すことが大事だ。水野は「酒造りは職人の世界だからといって、何も考えずに『今まで通り』を続けていける時代じゃない。生き残るためにできること、やるべき工夫を実践していかないと」と力説する。
それこそが、伝統を紡ぐことにつながると信じている。 =敬称略