1964年に大和市上草柳で5人が死亡した米軍機墜落事故を巡り、市民団体は跡地を慰霊広場として開放するよう市に要望する方針を決めた。17日に1万筆を目指して街頭での署名活動を開始。9月に陳情審査を打ち切った市議会経由の要望を断念し、市側に直接働き掛けることにした。
市民団体が跡地の国有地一角を賃借して設置した慰霊碑は、フェンスに囲まれ、立ち入りが制限されている。毎年9月の慰霊祭も使用料を支払って続けている。市民団体は市側に対し、跡地を管理する防衛省から使用許可を取り付け、開放するよう要望するつもりだ。
同省施設管理課は取材に「市側から使用許可を求められれば、前向きに検討する」と答えている。一方で大木哲市長は、9月の市議会定例会で「市民にさまざまな意見があることを承知している」と述べ、今のところ開放の賛否に言及していない。
市民団体事務局長の久保博夫さん(65)は「市側の意向次第で状況は進展する。跡地開放の民意を圧倒的な署名数で示したい」と話す。17日に中央林間駅前で署名を集め始め、電子戦機の金属部品落下(2012年2月)や、空母艦載ヘリの不時着(13年12月)といった直近の米軍機事故を例示して「墜落の危険性は当時と変わらない」と呼び掛けた。
市内の主要駅や戸別訪問で1万筆を集め、早ければ来年3月の市議会定例会に合わせて要望書を提出する。この日に署名した女性(77)は横浜市緑区で9人が死傷した1977年の墜落事故を振り返り、「フェンスを取り払い、自由に参拝できる環境を整えることで、事故防止につながるはず」と期待した。
市民団体は9千筆余りの署名を添え、跡地の開放を市議会に陳情したが、9月の市議会常任委員会は保守系委員の提案で審査を打ち切った。遺族の舘野義雄さん(64)=東京都西東京市=は市に対し、「政治になびかず、悲劇を繰り返さないために決断してほしい」と求めている。