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かつての「厚木の顔」解体相次ぐ にぎわい集めた防火ビル

話題 | 神奈川新聞 | 2020年8月9日(日) 12:00

「貴重な遺産」惜しむ声


厚木中央通り防災建築街区のうち相模大橋に最も近い側に今も残る棟。向かい側は既に取り壊されマンションになっている=厚木市厚木町、東町
厚木中央通り防災建築街区のうち相模大橋に最も近い側に今も残る棟。向かい側は既に取り壊されマンションになっている=厚木市厚木町、東町

 街中の大火を防ぐため、1960年代に厚木市中心部を貫く「中央通り」沿いに建設された3階建てのビル群が姿を消しつつある。かつては通りの両側約300メートルにわたって4棟ずつ計8棟が並び、下層には店舗も入居。「厚木中央通り防災建築街区」と呼ばれて町の顔となっていた。近年は老朽化に伴う取り壊しが続き、近代的なモダニズムのデザインのビルが消えゆく事態を惜しむ声も上がる。

 東京工芸大学工学部建築学科(同市飯山)の海老澤模奈人(もなど)教授によると、同街区は63年から67年にかけて防災建築街区造成法に基づき整備された。市が主導し、地権者の組合が補助金を得て、相模川に架かる相模大橋のたもと付近から西へ延びる中央通り沿いにビル群を建設した。

 江戸時代からにぎわった厚木の街は相模川沿いに南北に広がり、たびたび火災に見舞われたとされる。同街区は、東西に連なるコンクリート製のビル群で市街地を隔て、延焼を食い止める役割があった。中央通りが64年の東京五輪を前に拡幅されたことを契機に、再開発の機運が高まり実現に結び付いたという。

 ビル群は水平に連続する窓を持つモダニズムのデザインが特徴で、うち7棟は横須賀市の三笠ビルなどを手掛けた建築家が設計した。延べ床面積は8棟合計で約1万9500平方メートル。完成当初、1階にはスーパーマーケット3店をはじめ、米、精肉、茶、呉服、自転車など67店舗が入居し、買い物客でごった返したといわれる。2、3階は主に住居として使われた。

 相模大橋に最も近い棟で今も営業する茶加藤厚木店の中川寛代表取締役(85)は当時を知る一人。「海老名や綾瀬からも訪れて、人出がものすごかった。うちの店は年末近くは1日千人来た」と懐かしむ。

 だが、やがて500メートルほど離れた小田急線本厚木駅周辺へとにぎわいが移る。海老澤教授は、急速な自動車の普及に対して中央通り周辺には駐車場が乏しかったことなどが要因になったと分析する。

 ビル群は所有者ごとに内部の壁で仕切られた連棟式で、敷地も区画ごとの所有だった。このため、建物の端から順に部分的な解体が繰り返され、マンションへと変わっていった。

 現存する5棟のうち完成当初の姿を今もとどめるのは2棟だけで、3棟は部分的な解体が施されている。さらに1棟の取り壊しが始まろうとしている。街区に残された店舗も今は多くが閉じ、「見事なシャッター通りになってしまった」と中川代表取締役はため息をつく。

 海老澤教授は「55年の市制施行後、厚木市が新しい都市計画として最初に着手したのがこの街区。デザイン的にも都市計画の面からも、厚木にとって戦後を代表する建築の遺産。その価値を広く伝えたい」と話している。

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