観音崎自然博物館(横須賀市鴨居)の名物研究者、石鍋壽寛さんが10月下旬、現職館長のまま61歳で亡くなった。絶滅が危ぶまれる淡水魚のタナゴ類の研究で知られ、生息地の復元や繁殖に情熱を傾けてきた。一目で分かる大柄な体と人懐こい性格もあって「タナゴの先生」として親しまれ、その幅広い人脈は皇室にも通じていた。
東京湾に面した同博物館の正面玄関、幅6メートルの大水槽を国の天然記念物・ミヤコタナゴの群れが泳ぐ。同館が約10万尾の人工増殖に成功したのは1999年。石鍋さんや後輩研究員の長年の取り組みの成果だった。
生まれ育った東京・下町で魚や鳴く虫の魅力を知り、大学のボート部時代には練習の合間に水中のタナゴを見ていたというエピソードも残る。84年夏、当時の館長の誘いで研究員になり、横須賀を拠点として活動してきた。
ミヤコタナゴの保全は代表的な取り組みの一つ。産卵場所となる淡水の二枚貝を巡ってオスが縄張り争いをし、その後にメスを招き入れる行動を研究し、人工増殖などにつなげた。
千葉県内の生息地にも足繁く通った。現館長の河野えり子さんによると、そのこだわりは「川は研究者のためではなく、住民のもの。地元の人が自然を大事に思ってもらわなければ、生息地は守れない」。一緒に河川清掃や草刈りに汗するなど地域との結び付きを強め、「先生」と呼ばれて親しまれたという。
大学院生時代に東宮御所の心字池でニッポンバラタナゴの保全事業に参加したことから、皇室とのつながりも深めた。魚類研究が専門の天皇陛下から葉山御用邸に2度招かれ、淡水魚の話に花を咲かせたり、両陛下から博物館の視察を受けたりした。
副館長を11年、館長を8年務めた石鍋さんは昨冬、体調を崩し、入退院を繰り返していた。再び大好きなフィールドに戻ることはなかったが、河野さんはその思いを代弁する。「少年時代に川で遊び、魚を釣った環境が再び戻ることを、館長はずっと夢見ていたんだと思います」