三浦半島最東端にある観音崎(横須賀市鴨居)の地名の由来とされ、1986年に火災で焼失した観音像を県立観音崎公園内(同)に復元しようと、市内の関係者が動き始めた。土地の歴史を後世に伝えるシンボルにしたい考えだ。22日には初会合を開き、近く正式な組織を立ち上げ、寄付を募りながら造立に必要な経費などを調達する方向性を確認した。
観音崎の地名は、奈良時代の僧・行基が船の安全のため、十一面観音を現在の観音崎公園内の海蝕(かいしょく)洞穴(観音埼灯台近くの園路沿い)に納めたことに由来すると伝えられる。「船守観音」とも呼ばれた菩薩(ぼさつ)は漁民や船乗りに信仰され、江戸時代には観音寺も立ち並んでいたという。
明治政府が1880年に陸軍砲台の築造を始めると、観音像は鴨居の亀崎(現在の同市鴨居3丁目付近)に移された。1986年に火災でお堂とともに焼失し、復元されずに今に至っている。
市内で開かれた初会合には、県や市、観光協会、地元の両信用金庫、各種団体などの関係者ら約30人が出席。地元選出の牧島功県議が呼び掛け、今後発足させる組織の在り方や復元手法などについて意見を交わした。
観音崎公園を管轄する県の担当者は観音像を設置できる条件として、▽一般の公園利用者が宗教施設と捉えないこと▽公園が持つ歴史的エピソードを紹介する目的とすること▽もともと公園内にあった物の再現を図ること-などを挙げた。
郷土史家の山本詔一さんが観音崎にまつわる伝説や観音像の歴史も解説。その上で「時が流れ、観音崎は“無観音崎”になってしまった。房総半島には千葉県富津市に大きな観音像があるが、三浦半島側に近い浦賀水道は世界有数の船の行き来が多い場所。御利益の多い観音様を置き、より一層の安全も図れれば」と期待感を示した。