
太平洋戦争中に座間、海老名市内にあった海軍の航空機工場「高座海軍工廠(こうしょう)」。座間市内に住む兼田智子さん(85)は、同工廠の地下壕(ごう)をテーマにした自作の紙芝居「芹沢のほら穴」を18日に相模原市内の公民館で上演する。戦争に兄を送り出した悲しい記憶を思い出しながら描いた作品で、平和の大切さを若い世代に伝えている。
8月上旬、座間市内で仲間と紙芝居を練習する兼田さんの姿があった。「今だって戦争している国があるんだよ。どうしてなんだろうね」。せりふを読み上げ、ため息をついた。
芹沢のほら穴は、空襲を避けるために同市芹沢地区に設けられた地下工廠跡。日本統治下の台湾からやって来た台湾少年工と呼ばれた14、15歳の少年たちが働いていた。
紙芝居には、戦争で特攻隊員の息子を亡くした女性と台湾少年工が描かれている。息子の墓参りをしていた女性は空腹だった台湾少年工に出会い、サツマイモを手渡す。2人の交流を通じて地域の歴史をひもとくストーリーだ。
兼田さんが創作した物語だが、自身の戦時中の経験が随所に盛り込まれている。特に思い入れがあるのは特攻隊員として出征する息子と女性の別れのシーン。「私の兄の出征前夜、枕元に座った母は兄の頭に手を当てたままずっと泣いていた。記憶に残る別れの場面をそのまま描いた」と話す。敗戦後、兼田さんの兄は戻ってきたが母の涙は今も忘れられないという。
紙芝居を一緒に披露する飯島千恵子さん(67)の祖母が台湾少年工に食べ物を分け与えていた実話を物語の中心に据えた。飯島さんは「祖母は『おなかを空かせていてかわいそうだったから』と台湾少年工にいろいろな食べ物をあげていたそう。誰に対しても優しい人だった」と振り返る。
兼田さんは地域に残るこうした戦争の記憶を子どもたちに伝えたいと願っている。「戦争を知る自分が若い世代に伝えなければ、戦争があったことすら忘れられてしまう」と危機感を抱く。
兼田さんは岐阜県の飛騨高山出身。敗戦後に演劇を学び、劇団にも所属した。出産を機に演劇をやめたが、80歳になるまで地元で交通安全を呼び掛ける劇「交通安全劇団」を開いてきた。「戦争のことを小さな子どもに伝えるには紙芝居が一番いい」と80代になってから紙芝居作りを始めた。
芹沢のほら穴は2016年に初めて手掛けた創作紙芝居。子どもにも思いが伝わるよう、「はるばあちゃん」が母と台湾少年工の交流を小学5年生の女の子に語り掛ける物語にした。今の平和を大切にしてほしいと願い、はるばあちゃんは最後にこう語る。
「毎日ご飯がちゃんと食べられて、家族仲良く、そして元気でいられたら、それが幸せ」
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紙芝居は18日午後2時から、相模原市南区の相武台公民館で披露される。出演するのは兼田さん、飯島さん、本多理恵さんでつくる「ピース紙芝居劇場」。定員は40人で無料。