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平塚のジンギスカン老舗食堂、大陸の味 73年の歴史に幕 

話題 | 神奈川新聞 | 2020年3月27日(金) 11:43

3月末で閉店し73年の歴史に幕を下ろす不二家食堂=平塚市立野町
3月末で閉店し73年の歴史に幕を下ろす不二家食堂=平塚市立野町

 昭和から平成、令和に時代が変わっても庶民の味が愛され続けてきた老舗食堂がまた一つ暖簾(のれん)を下ろす。平塚で数少ないジンギスカンの店として73年の歴史を刻んできた「不二家食堂」が3月末で閉店する。先代が戦前の中国・満州で学んだ味を受け継いだ小沢公一さん(76)は、2度のがん手術を受けながらも妻と二人三脚で厨房(ちゅうぼう)に立ち続けた。「お客さんにはもう感謝の言葉しかない」。戦後の焼け野原から高度経済成長、衰退する商店街…。まちの風景から昭和が消えていく。

 JR平塚駅から歩いて20分ほど、同市立野町の追分交差点に立つ不二家食堂。夜6時をすぎると、ジンギスカンを焼く煙が小さな店内に立ちこめる。「昔は使用人さんが5人もいて、自分が食べる間もないくらい繁盛してたのよ」。おかみの勢津子さん(75)は目を細める。

 昼はカツ丼、夜はジンギスカンが定番。かつては大みそかになると、近くの町工場から注文がひっきりなしに入った。「早く店を閉めようとすると怒られた」(公一さん)。市役所にも近く、店の2階で職員が「人事異動会議」を開いていた。「そういう時代だったのよ」と勢津子さんは笑って振り返る。


厨房で人気のカツ丼を作る小沢さん夫妻=平塚市立野町の不二家食堂
厨房で人気のカツ丼を作る小沢さん夫妻=平塚市立野町の不二家食堂

 公一さんの叔父に当たる先代の武さんが戦前、満州のデパートに勤務し、ジンギスカンの味を知った。今も受け継がれる特製のタレは本場仕込みの味だ。

 だが、大空襲で焼け野原となった平塚で1947年に始めた店はアイスキャンディー店。「食べ物がない時代だったから人気だったよ。原料もほとんど水だし、もうかったらしい」。いつジンギスカンの店に衣替えしたかは、公一さんも分からないという。

 公一さんが21歳で修行に入った頃、世は高度経済成長に沸き、追分交差点の商店街も活気に満ちていた。羊の肉になじみの薄い時代で、公一さんは都内まで買い出しに出ていた。

 しかし、時代は変わりゆく。車が主役となり道路が拡張、周辺の店舗は立ち退きを迫られた。商店街のシンボルだったアーケード屋根も撤去された。周りにはコンビニ店が増え、かつて多く訪れた家族連れもほとんど見なくなった。開店当時に眺められ店名にした富士山も、今はマンションの陰に隠れる。


1950年代に撮影されたとみられる「不二家」の写真。看板には「喫茶」と書かれ、アイスキャンディーを売っていたという
1950年代に撮影されたとみられる「不二家」の写真。看板には「喫茶」と書かれ、アイスキャンディーを売っていたという

 公一さん自身もこの6年で肺と大腸のがん手術を受け、脳梗塞も患った。それでも「『今日はよく食べたな』と言ってくれるお客さんの声が何よりうれしい」。お客さんの満足げな笑顔を励みに不自由な足で厨房に立ち続ける公一さんを勢津子さんが見守り、2人で店を守り続けた。

 しかし、老いにはあらがえない。「もう気力がなくなってしまった。引退する力士もみな、こんな気持ちなのかな」。昨年10月に公一さんは店じまいを決めた。「立ちっぱなしで体が大変そう。もう年だし、そういうものでしょ」。勢津子さんも反対しなかった。

 知らせを受けた常連客の予約で、閉店の3月末日までカレンダーが埋まった。2月、半世紀にわたり通い続けた常連の男性(67)は、がん手術を経験した患者らでつくる「がん友会」の仲間たちと同志をねぎらいに集まった。「公ちゃんに『お疲れさま』って慰労しようと。札幌のジンギスカンにも負けないくらいおいしかった。残念だけどこれが時代の流れかな」

 店の後継ぎもあえて決めなかった。個人商店が厳しい時代なのは、よく知っている。「一口に73年と言うけど本当に長いこと。ここまでやって来られたのはお客さんのおかげ」と勢津子さん。店の明かりが消えても人情は消えない。

 
 

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