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沖縄出身2世の発信 川崎・屋良朝信さん「豊かな原風景伝えたい」

話題 | 神奈川新聞 | 2018年5月21日(月) 17:32

屋良朝信さん
屋良朝信さん

 沖縄出身の両親と、子どもの頃訪れた沖縄の海辺の光景を、いまも忘れない。ウチナーンチュ(沖縄人)2世は、それを原風景と感じ、自身の歌で紡ぐ。

 2014年、自身が作詞・作曲した楽曲「ゆうな」をCDに収録した。海岸に自生し黄色い花を咲かせる沖縄を代表するユウナ(オオハマボウ)がテーマ。朝に開花し夕方には散る花を歌った。「赤っぽく変色した花が地面を埋めるとその日が終わると知らせてくれた」という。

 知人の音楽家でジオラマ作家の石井彰英さんが楽曲に着目し、音楽に海辺の風景など静止画像を添えた4分ほどの作品を制作。今年5月、動画投稿サイト「ユーチューブ」にアップした。作品をインターネット検索した友人たちから、「あの曲が発信力を強めて戻ってきたね」と褒められ、うれしそうだ。

 歌は「海も空も かがやき ゆれる 生まれたばかりの 陽射しを浴びて こぼれ咲いてる 影をふみながら 時が忘れた道」としたためた。

 沖縄市(旧コザ市)出身の両親のもと、川崎市川崎区で生まれた。両親に連れられ何度も訪れた古里はベトナム戦争の時代。米軍の出撃拠点の沖縄では、先の命が分からない大勢の米兵が基地周辺で一時の享楽にふけっていた。

 「コザの米軍基地ゲート通りの近くに両親の本家があった。あるとき、米軍払い下げの品を扱う店で大きな袋を見せられた。戦争で死んだ兵士を運んだ袋だといい、この染みが血の痕だと。子ども相手に冗談を言って怖がらせたのかもしれないが」

 心に強い印象を受けた両親の出身地・沖縄。自身の原風景として残ったのは、基地のある沖縄ではなく、昔からの海の情景だった。「荒れた時代より、ジュゴンの生息する海の情景が沖縄らしいと思った。2世のDNAがそれを伝えろと背中を押した」

 「沖縄の親戚たちは、誰もが基地があることをいいとは思わない。ただ振興策で一部が潤う現実があり、基地問題はとてもデリケートだ。みんなに共通するのは沖縄の海辺や自然への愛情だ。それこそが原風景だろう」

 学生運動が盛んだった10代の終わり頃、在籍した都内の明治大では休講が続いた。作家・小田実さんの著書の影響を受けて休学、「何でも見てやろう」とバックパッカーの旅に出た。北欧や英国の街角で、ギターを抱えて日本の歌を歌った。

 1年間で復学。卒業後、沖縄や欧州、アジアの安宿を泊まり歩く旅を30歳近くまで続けた。旅の途中、親交を深めた日本人の尺八奏者とも楽曲を制作した。

 移住した沖縄出身者や子孫たちの川崎、鶴見、都内などでの暮らしぶりを取材し、単行本「沖縄・思い遥(はる)か」を昨年11月、出版した。懸命に生きる姿に触れ、「ウチナーンチュが見てきた光景がいとおしかった」。

やら・とものぶ 川崎沖縄県人会会員。1949年川崎市川崎区生まれ。両親に連れられ幼い頃から沖縄を訪れる。学生運動が盛んな頃、「放浪」に出て欧州やアジアを巡った。出版社や電子部品メーカー勤務などを経験。退職後は沖縄出身者やその子孫を応援する。68歳。

 
 

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