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「愛された母は誇り」 川端との別れ 初恋女性の三男語る

話題 | 神奈川新聞 | 2019年10月17日(木) 06:00

婚約直後に撮影された写真。左が川端康成で、中央が桜井さんの母の伊藤初代=桜井さん提供
婚約直後に撮影された写真。左が川端康成で、中央が桜井さんの母の伊藤初代=桜井さん提供

 ノーベル賞作家の川端康成(1899~1972年)と、初恋の相手とされる伊藤初代(1906~51年)はなぜ離別したのか。初代の三男で葉山町在住の桜井靖郎(やすお)さん(81)が11日に町内であった講演会で、別れを巡る秘話を明かした。初代が婚約破棄の理由とした「ある非常」について桜井さんは、他の男性に乱暴された「事件が発端」と証言。2人の心中を思いやりながら「巨匠に心から愛された母は誇り」などと語った。

 桜井さんによると、初代は福島の貧しい家庭に生まれ、9歳の時に母親を亡くした。学生だった川端との出会いは、東京都内のカフェで働きながら女性オーナーの下で「わが子同然」に育てられていた頃。その後、カフェの閉店を機にオーナーの姉が嫁いだ岐阜県の寺で暮らした。

 川端は岐阜に通って結婚を申し込み、1921(大正10)年に22歳の川端と15歳の初代は婚約。しかし、1カ月後、初代は約束を破棄することを手紙で伝え、その理由を「ある非常」とだけ記した。

 2014年、川端が暮らした鎌倉市内の自宅からは2人の書簡計11通が見つかり、その文面から2人が深い愛情で結ばれていたことが分かっている。

 そのうち1通は川端の未投函(とうかん)の手紙で、「恋しくつて恋しくつて、早く会はないと僕は何も手につかない」などと記した。初代も「私の様な物を愛して下さいますのは私にとってほんとうに幸福なことです」などと伝えていたが、婚約した年の11月に婚約を果たせないとする旨を手紙につづり、一方的に別れを告げていた。


2人の出会いと別れについての秘話を明かした桜井さん(右から二人目)=葉山町堀内
2人の出会いと別れについての秘話を明かした桜井さん(右から二人目)=葉山町堀内

 「ある非常」の内容は、初代が「死んだほうがどんなに幸福でせう」と記し、広く明らかにされていなかったが、桜井さんは「母が岐阜で(他の男性に)犯されたこと」と明かす。初代が勤め先だったカフェの近くにあったたばこ屋の女性に告白し、その女性が川端の友人に吐露。友人から伝え聞いた川端が、その内容をつづった日記も見つかっているという。

 桜井さんは「確信を持ったのは、それだけではない」と言う。姉に「なぜ川端と一緒にならなかったのか」と尋ねると、悲しい答えが返ってきた。姉は母から直接聞いたという。

 「母はきっぷの良い人で、うそをつかない。たばこ屋の主婦と姉以外には話さなかったのだろう」と桜井さん。当初は「死ぬまで(言わずに)持っていこう」と胸に秘めていたが、2人の交わした手紙が見つかって以降、研究者らと川端と母の関係を話すうち「事実を伝えたい」との思いが増したという。

 桜井さんは「川端さんにあれだけ愛されたのが実の母というのは誇り。しかし2人が結ばれていたら私はここにおらず、生きていることに感謝したい」とほほ笑んだ。

 桜井さんは、葉山まちづくり協会が主催する、気楽に会話を楽しむ会「きらく座」で講演。町民ら約30人が証言に耳を傾けた。

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