松田町寄(やどりき)地区は、同町のほぼ北半分を占める。中津川の深い峡谷沿いに各集落が散らばる中山間地で、昭和の大合併前は一つの村だった。
明治期には文部大臣だった井上毅が来訪して「我もまた/住まはやとしも/思う哉/みやまのおくの/寄の里」という歌を詠んだ。町立寄小学校に石碑となっており、「みやま(深山)」は寄の代名詞でもある。
町立寄中学校は国道246号の「寄入口」交差点から約6キロほど県道710号を行った所にある。現在は3年生のみ5人が在校している。町立松田中学校との統合が決まっていたため、地区の1、2年生計7人は入学時から、新校が置かれる松田中に通っている。
寄中は戦後の学制改革で1947年に寄村立(当時)の新制中学校として、村立寄小学校(現在は松田町立寄小学校)の敷地に開校した。