
戦時下の二宮町を舞台にした児童文学「ガラスのうさぎ」をテーマにした「平和と友情のつどい」が6日、同町生涯学習センター「ラディアン」(同町二宮)で行われ、著者の高木敏子さん(87)も8年ぶりに出席した。高木さんは平和の語り部として約40年、活動を続けたが「自分にとって特別な場所である二宮町を最後に、と決めていた」と活動に幕を下ろすことを宣言した。
74年前の1945年8月5日、米軍艦載機の機銃掃射により二宮駅で5人が死亡した事件の記憶を受け継ごうと始まった「つどい」は今年で29回目。高木さんもこの空襲で目の前で父を失い、その体験を「ガラスのうさぎ」に記した。
高齢と体調不良などから欠席が続いていた高木さんは、車いす姿で8年ぶりに壇上に上がり「もう一回、二宮の人たちに会ってお礼が言いたかった」と疎開中に支えてくれた二宮町の人々に感謝。約20分間、戦時中の自らの体験を語った。
高木さんは44年夏に二宮町に疎開。45年3月の東京大空襲で母と妹2人を失った。空襲で焼けた家の金庫から母の着物が残されていた。高木さんの女学校の入学式用で、父からは「亡くなったお母さんの分まで生きなければいけない」と言われた。
しかし、その父も5カ月後に二宮駅での空襲で亡くなった。「『戦争』という2文字で人が簡単に殺される。どうして戦争なんか起こしたのか、ずっと頭の中にひきずって生きてきた」と「ガラスのうさぎ」を執筆した思いを語った。
これまで全国で1700回の講演を続けたが「もう医者から話すことも止められている」とこの日限りでの活動終了を明かした。会場に集まった約500人の小中学生や地元住民に「一人として戦争で殺されることがないように。憲法(第9条)を守ってほしい」との思いを託した。
つどいで地元の小中学生らの合唱を聴き、「思いが込み上げた」と涙を流した高木さん。終了後に旧友らとも再会し「つらい思い出もあり、二宮に行きたくない気持ちも正直、あった。でも会えてよかった」と思い出を語り合った。
高木さんの疎開先の家で一緒に過ごしたという夏苅美恵さん(89)は平和団体のメンバーとして地元の戦争の記録を残す活動を続ける。夏苅さんは「家族を失い、涙を流していた高木さんをそばで見てきた。戦争のつらさは経験した人でなければ本当には分からない」と半生を反戦に貫いた高木さんの思いをおもんぱかった。
つどいに出席した二宮西中学校3年の生徒(14)は「人の心が起こす戦争を絶対に繰り返してはいけない」と誓った。



