湯本~強羅開通100年
箱根登山鉄道の軌跡(2) 難工事で大幅遅れ
話題 | 神奈川新聞 | 2019年6月13日(木) 21:49
営業開始(1919年)
箱根湯本~強羅間の建設工事が本格化したのは1915(大正4)年8月。実はその3年前に着工していたのだが、アプト式の見直しなどで間もなく中断を余儀なくされた。
再開後も、工事は苦難の連続だった。2年間の予定だった工期は大幅にオーバーした。
高さ43メートルの鉄橋
まず湯本~大平台間、次いで大平台~強羅間に着手した。工事の困難さを象徴するのが塔ノ沢~大平台間の、通称「出山(でやま)の鉄橋」と呼ばれる早川橋梁(きょうりょう)の建設だった。峡谷の早川をまたぎ、川床から高さ43メートルの足場を組み上げるだけでも大変な労力を要した。
しかも、当時は第1次世界大戦の真っ最中。材料が輸入できず、国内産も価格が暴騰した。やむを得ず鉄道院払い下げの天竜川橋梁(東海道線架橋)を転用した。
「架橋を完了したので、次の日から足場の解体作業につこうと思っていたところ、その晩暴風がきて、翌朝には足場がきれいに取りはらわれていた」。箱根登山鉄道(小田原市)の社史には、自然の猛威を物語る関係者のエピソードが記されている。