相模川に架かる小倉橋を相模原市緑区側に渡ると、道路はいったん右に曲がり、すぐ急な上りの左カーブを描く。そのカーブの途中から右へ分かれる細い道は、河岸段丘の崖の中腹を切るように川沿いに下流へ向かっていく。道の脇には木が生い茂り、倒木で通れない部分も。その地下には横浜水道の水道管が通る。いわゆる「横浜水道みち」の一部だ。
横浜水道は1887(明治20)年、日本初の近代水道として整備された。相模川と道志川が合流する同区三井に取水口を設け、ポンプアップした水を鋳鉄製の管で横浜へ導いたという。この水道管を埋設するため、小倉橋から下流の大島地区周辺などでは、一部は河岸段丘の中腹を掘り割り式に切り開くなどして、トロッコを通したという。
横浜市水道局は三井から野毛山旧配水池(横浜市西区)まで、水道みちの26カ所に案内看板を設置。現在は旧水道管に水は通っていないが、案内看板は大都市・横浜の発展を支えた水道みちの歴史を語る。
最初の取水口だった三井にも記念碑が立つが、こちらは近年の台風被害などで、近づくには困難が伴う状況だ。