伊勢原市子易の県道611号沿いに、20年近く前から倒れたままだった「大山参道入口」の記念碑と、大山にゆかりがある川柳家村田周魚(しゅうぎょ)(1889~1967年)の句碑が再建された。12日に除幕式があり、参加した住民ら約70人は再びのお目見えを祝うとともに、周魚の句が多くの人に伝わることを願った。
市などによると、記念碑と句碑は1965年に丹沢大山が国定公園に指定されたことを記念し、66年に建てられたものとみられる。2000年の道路拡幅工事で、倒れたままになっていた。
再建の機運が高まったきっかけは、16代目川柳の尾藤川柳さん(58)が3年前に、句碑の存在を知って現地を訪れ、放置された記念碑と句碑を見つけたこと。川柳家有志でつくる「初代川柳生誕300年実行委員会」や、大山の伝統と文化の継承に取り組む地元の団体「阿夫利睦(あふりむつみ)」の磯崎敬三会長(76)ら地域住民が費用を捻出した。
根府川石製の記念碑は高さ約3メートル、横幅約1・2メートルで、黒御影石製の句碑は高さ約70センチ、横幅約80センチ。地元の業者が倒れていた二つの碑を磨いたほか、台座や飾り石を新調、ほぼ建立当時の形に復元した。約50メートル離れた場所にあった江戸期の建立とみられる大山道の道標も移設した。
周魚は「川柳六大家」と呼ばれる川柳家の1人で、川柳の発展に尽力。句碑には周魚が大山で詠んだとされる句「お互いの 齢(とし)をほめあう 山の道」が刻まれる。
ことしは周魚の生誕130年の節目の年で、除幕式に出席した関係者の喜びもひとしおだ。尾藤さんは「碑を見て地域の歴史を知り、川柳に興味を持ってほしい。地域の文化遺産になってくれれば幸い」と笑みを浮かべた。
一方、周魚の孫にあたる村田行成さん(67)=千葉県柏市=も「住民の協力をいただき、設置実現に至ったことは感無量」と目を細める。祖父の句碑を探し続けた日々を振り返りながら「川柳は個人のものではなく、文化、伝統、歴史を刻む。大山地区として受け継いでほしい」と語った。式典後には、近くの大山阿夫利神社翠浪閣(すいろうかく)で川柳家による記念句会を開催。あらためて大山で育まれた文化を紡いでいくことに思いを新たにした。